理趣経の内容

  金剛界曼荼羅の理趣会の構造説明
   (愛染曼荼羅も同様と見   ます。)
              

















 理趣経曼荼羅

 京都 醍醐寺 蔵


 理趣経の内容 解説

勧請  読経する者が大日如来をお迎えして挨拶。

序説  大日如来の説法を聞こうと、他化自在天の王宮に八十億の仏たちが集まってきた。

    金剛手菩薩大士(金剛のように堅固な菩提心の体現者)、
    観自在菩薩大士(大いなる慈悲の実現者)、
    虚空蔵菩薩大士(一切の事物を包容してあらゆる存在をさまげない福徳者)、
    金剛拳菩薩大士(大いなる三密の行者)、
    文珠師利菩薩大士(最上なる智慧の完成者)、
    纔発心転法輪菩薩大士(素早くそして巧妙な説法者)、
    虚空庫菩薩大士(無尽にして無余なる供養者)、
    摧一切魔菩薩大士(外に憤怒を内に悲憂を懷いて悪を摧く奉仕者)
    の八大菩薩は座の中心にいます。


初段 初段 (大楽の法門) 金剛サッタの巻
    全ては清く、美しいものである。欲・触・愛・慢の小楽を大楽に変えることこそ、仏の道である。

      大日如来は十七の清浄なる菩薩の境地をあげて次のように説かれた。

      1. 男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
      2. 欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
      3. 男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
      4. 異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
      5. 男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、
        清浄なる菩薩の境地である。
      6. 欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
      7. 男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
      8. 男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
      9. 自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
     10. ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である。
     11. 思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。
     12. 満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。
     13. 身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。
     14. 目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。
     15. 耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である。
     16. この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。
     17. 口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。

                        西


まん

 さ

 歌
    
 金剛華

 愛金剛

 金剛燈

 索

 触金剛
 金剛
 薩た

 慢金剛

 鈴

 金剛焼香 

 欲金剛

 金剛塗香

 嬉

 こう

 舞






       






                        東
     
       外側 四隅 「内(ない)の四供養菩薩」(女尊)
   
           中  「四摂(ししょう)菩薩」










   『十六の大菩薩によって象徴される十六の生の段階(禅定)を進んで、
   金剛のごとく不壊なるもの(金剛サッタ)を本質とする私「あまねくすべてを
   照らすもの(大日如来)」の境地を獲得することであろう。』

金剛界曼荼羅十六大菩薩  
                                      西
                                

金剛語菩薩
金剛利菩薩 阿弥陀如来 金剛因菩薩
金剛法菩薩
金剛幢菩薩 金剛護菩薩
金剛笑菩薩 宝生如来 金剛宝菩薩 大日如来 金剛業菩薩 不空成就如来 金剛拳菩薩
金剛光菩薩 金剛牙菩薩
金剛薩た菩薩
金剛愛菩薩 阿しゅく如来 金剛王菩薩
金剛喜菩薩


 

 

    

  












                                    東

  この教えを一字で表わす聖音「ウーン」を唱えたのであった。


二段 (覚証の法門) 大日如来の巻
      大楽の境地に至ったとき、全ては平等であるという智恵を得る。

 阿弥陀如来
 宝生如来  大日如来
不空成就如来 
 阿しゅく如来


(金剛界 五仏)


    @一つには、金剛のような現等覚である。
     これは、すべてに普遍で平等なることを知る悟りであり、金剛のように堅固で不壊な
     大菩提である。
     金剛平等(大円鏡智:澄んだ水の表面に喩えられる阿しゅく如来の智慧)

    A二つには、すべての利益が等しいことを知る現等覚である。
     この大いなる菩提は、すべての利益に基づき、慈悲によるがゆえに差別がない。
     義平等(平等性智:澄んだ水の水面が同じ高さであることに喩えられる宝生如来の智慧)

    B三つには、法(教え)が平等であるという現等覚である。
     この大菩提は、ものの自性が清浄であり、すべてのものにあまねくゆきわたり、そ
     の教えはすべての人々を教化するからである。
     法平等(妙観察智:澄んだ水の水面にすべてを映し出すことに喩えられる阿弥陀如来の智慧)
     と言われる。

    C四つには、すべての業が平等であることを知る現等覚である。
     この大いなる菩提は、私欲にとらわれず、すべての分別動作をそのままに、如来の種別を超えた
     平等の境地に通ずるからである。
     一切業平等(成所作智:澄んだ水がすべてのものの成長を育むことに喩えられる不空成就如来の智慧)

    もしあなたたちがこの四つの悟りを生み出す法を聞いて、これを読み誦え、身に保ち持っていたならば、
    たとえ今ここで数えきれない重い罪をなしたとしても、必ず一切の地獄に墮ちるという報いを超えて、
    そのままで無上正等覚(さとり)を証することであろう。

 大日如来は、第一段で、すべてが大楽であることを示したのに続いて、
          第二段では、それを実現する方法を説き終り、これらの四つの現等覚を、
          より一層に明かにしようと考えて、御自分の智慧を主客の両面から説き終られて、
         この理想の世界を八大菩薩によって象徴される八つの法門として、もっと具体的に
         説明しようとされた。

「一切の法は自性平等(法界体性智:澄んだ水がいたるところにゆきわたることに喩えられる大日如来の智慧)」という教えを一字で表わす聖音「アーク」を唱えたのであった。

胎蔵界 中台八葉院の八大菩薩

 弥勒菩薩(東北)  宝幢(ほうとう)如来(東  普賢菩薩(東南)
天鼓雷音(てんくらいおん)如来(北)    大日如来 開敷華王(かいふけおう)如来(南)
 7観音菩薩(西北)  阿弥陀如来(西)   文殊菩薩(西南)








三段 (降伏の法門) 降三世明王の巻
        (八大菩薩)真実の智慧の理趣(みち)
    自分の心に住む三毒(貧・瞋・痴)をコントロールする智恵。

    貧り(むさぼり=貪欲:自己の欲するものに執着して飽くことを
    知らないこと)は、その本質からすれば、善悪の分別も、それ
    に執らわれた表現も超えたものであり、人によっていかなる
    善にも活かすことができる。

    瞋り(いかり=瞋恚:自分の心に逆らうものを怒り恨むこと)も
    善悪の分別も表現も超えたものである。したがって、もし自我
    に執着することなく、それを善に活かしきれば、邪悪に打ち勝
    つための大きな瞋りが生み出される。

    痴しさ(おろかしさ=痴愚:根本の真理を知らないこと)も善悪
    の分別を超えたものであるゆえに、小さな自我に執らわれ
    ず、それを善に活かす時は、これが愚かとか、あれが賢いな
    ど、    物事の理非をあれこれと言いたてるような、小さな
    痴しさを超越して、大きな痴しさの境地に至るであろう。           (C)2004 RayLand

法力を以て仏敵や怨敵や魔障などのすべての悪を降伏する(討ち倒す)姿に変身された。そして、この教えを一字で表わす聖音「ウン」を唱えたのであった。

四段 (観照の法門) 観自在菩薩の巻 (八大菩薩)
    ものごとを清らかな目で見る智恵。 「四種の不染」の教え。

 金剛語菩薩
 金剛利菩薩  阿弥陀如来  金剛因菩薩
 金剛法菩薩

金剛界一印会





    @この世間における一切の貪欲は清浄である。何となれば、すべてのものの本性は清浄であって、
     善や悪の貪欲などという区別は現象の上にあらわれたものに過ぎず、決してその本質にまでさか
     のぼって汚すことができるものではない。このように貪欲が清浄であるとすれば、この貪欲の不足
     によって起こる瞋恚も痴愚も、その心に根拠がなく、すべて清浄である。
     (金剛法菩薩)

    Aこのように、貪欲も瞋恚も痴愚も、この世のすべての垢(けがれ)が清浄であるがゆえに、
     これらの垢から生じる一切の罪の業(おこない)も、その本性は悪ではなく、極めて清浄である。
     (金剛利菩薩)

    Bまた、この世における一切の構成要素も、その本性は善悪の区別なく清浄であるから、これらの
     構成要素が一時の存在を保つために、仮に組み合わさったもので、すべての生き物は清浄である。
     (金剛因菩薩)

    Cさらに、この世の中で働いている理性も、宇宙の本性そのものであり、大日如来の最高智の
     あらわれなのだから、とても浄らかで、現象の上の区別や表現で汚されるものではない。
     (金剛語菩薩)

     すべての生き物が汚されることがないという真理を一字で表わす聖音「キリーク」を唱えたのであった。


五段 虚空蔵菩薩 (八大菩薩)
    宇宙に遍満する無限の宝を発見する智恵。 「四種の施行」

    @まず、自ら智慧の水をすべてのものに灌ぐものとなり、これによって真理を悟って成仏する。
     最上の宝を他人にも自分にも施し、三界のすべての心に願うところとなり、三界の法王の境地に到る。
     (灌頂施)

    Aまた、あらゆる人々に義利(よきもの)を施し、世の生活に不如意なものを取り除く。
     そうすれば、この世の一切の願いは満ち足らされるであろう。
    (義利施)

   B次に、如来の法(おしえ)を人々に施すことにより、一切のものが法性(普遍の真理)を獲得する
    ことであろう。
    (法施)

   C最後に、生(いのち)の資(もと)となる種々様々なものを施す。この行ないによって、世のすべての
    飢えたるものは、ことごとく苦しみから救われ、身口意(しんくい)も安らかで楽しいものとなるであろう。
    (資生施)

   「すべてのものに智慧の水を灌ぐ」という教えを一字で表わす聖音「タラ−ン」を唱えたのであった。


六段 金剛拳菩薩 (八大菩薩)
    仏の活動(身・口・意)を身につける智恵。 「四種の智印」の教え。

   @まず、あなたたちの小さな我に執らわれることを止め、何ものにも執着しない自由な活動を行なう
    ようにすれば、あなたたちの活動が、そのまま一切の如来の身(活動)と同じものになり、あなたたち
    の身体の上に、諸々の如来の活動(宇宙の活動)を実現することになろう。
    (身印)

   Aまた、真実なる智慧の教えを聞いて、邪悪な見解を排斥すれば、一切の如来の語(言葉)が、
    あなたたちの言葉と同じになり、如来の法(宇宙の音声)を体現することになろう。
    (語印)

   Bさらに、真実なる智慧の真義を悟り、一切の如来の智慧の働きを知ったならば、あなたたちの
    身体のままで、諸々の如来の心の活動(宇宙の真理)を実現できる三摩地(境地)に到達すること
    になろう。
    (心印)

   C最後に、これらの活動のすべてが、如来の心のままに働くことになれば、あなたたちの業(おこない)が、
    一切の如来の金剛のごとく不動な業と等しくなり、諸々の如来の最も勝れた完成の境地(宇宙そのもの)に
    到達することになろう。
    (金剛拳印)

     金剛のごとく堅固で不動なる全活動の完成を一字で表わす聖音「アク」を唱えたのであった。

七段 文殊菩薩 (八大菩薩)
    修行の方法 小さな自分を大宇宙の阿字に広げる観想修行を行なう。 「四種の解脱」。

   @すべての諸法は、その本質において、いかなる実体をも持たないのであるから、空である。
    宇宙に存在するあらゆる事物は、もろもろの事物が縁起によって成り立ったもので、固定的
    実体がないのである。
    (諸法の空)

   Aすべての諸法は、その本質において、定まった形相がないのであるから、無相である。
    だから前述の諸法の空というのは、表現上の仮の相(すがた)なのだから、もし諸法の空に
    固執したならば、逆に空から遠ざかってしまう。
    (諸法の無相)

   Bすべての諸法は、その本質において、特定の方向や目的を持たないのであるから、無願である。
    だから前述の諸法の無相について、その相から離れたいという願いに執着することは、逆に空から
    遠ざかってしまう。
    (諸法の無願)

   Cこのように、すべての諸法は本質において空であり、固定した相も、目的も方向も願いもないので
    あるから、すべての諸法は自由で光り輝いている。真実なる智慧の理趣に照らしてみれば、ものは
    みな清浄なのである。
    (諸法の光明)

   清浄で邪気のない文珠菩薩の姿に変身した大日如来は、この「ものも言葉もすがたなし」という教えを、
   一字で表わす聖音「アン」を唱えたのであった。


八段 転法輪菩薩 (八大菩薩)
    大宇宙の全てを小さな自分の阿字におさめる観想修行を行なう。 「四種の輪円」
    宇宙の秩序を表現する曼荼羅(シェーマ)の一つである。

   @まず、あなたたちが、自分自身の心も、世のすべてのものも、堅固不動にして、連なる輪の
    ごとく完全無欠であることを悟れば、たちどころに一切の如来の環のごとく完全なる智慧の境地に
    到達することができる。
    (如来の法輪)

   A次に、世の義利(利益)の偏在はありえず、それはすべてに平等円満であり、あたかも虚空(空間)の
    ごとく尽きることなく、宝を取り出すことができるという虚空蔵菩薩のような円満なる境地に入ることとなろう。
    (大菩薩輪)

   Bさらに、すべてのものの円満で平等なることを悟れば、たちどころに大乗の妙なる完全なる真理の境地に
   入ることであろう。
    (妙法輪)

   C最後に、すべての事業の円満で平等なることを悟れば、たちどころに一切のものの働きが円満で
    安全なる境地に到達するであろう。
    (事業輪)

      この完全無欠な輪のごとき境地を一字で表わす聖音「ウーン」を唱えたのであった。


九段 虚空庫菩薩 (八大菩薩)
    人の為に供養の実践活動を行なう。 「四種の供養」

   @まず、菩提(さとり)を願う心を発すれば、それがそのまま諸々の如来の最も喜ばれるところとなり、
    広大な供養になる。なぜならば、真理の具現者である一切の如来と菩薩は、真理を知り、
    悟るものが一人でも多いことを願っているからである。
    (発菩提心供養)

   A次に、この世のすべてのものを救済することは、それがそのまま諸々の如来を供養することになる。
    なぜならば、すべてのものを苦海から救い出して涅槃に度(わた)らせることが、如来の本願だからである。
    (救度供養)

   Bさらに、妙なる真理を記した経典を身に受持することが、そのまま諸々の如来への供養になる。
   なぜならば、経典に書かれた内容は、如来の悟りであり、それを人に知られることを欲するからである。
    (妙経供養)

   Cこのように、般若波羅蜜多(最高の真理)を記した経典を、身に受持し、読誦して、自分で書き写し、
   他人にも書き写させ、よく心に考え、十種の修行を実践したならば、それがそのまま諸々の如来の供養
   になるであろう。
   (般若供養)

 
     一切の事業が空しからずという境地を一字で表わす聖音「オン」を唱えたのであった。


十段 摧一切魔菩薩(八大菩薩)
    自我の小さな怒りを大きな怒りに変える修行を行なう。 「四種の忿怒」

   @まず、一切の有情(生きとし生けるもの)は、その本質において平等であり、自他の差別は現象の
   上だけのものだから、すべて自他の差別によって起こる忿怒も、その平等性の発露そのものであり、
   対立的な忿怒ではない。
   (忿怒の平等)

   Aまた、一切の有情は、現象の上からみれば、惑と業と苦の三つのあり方の中にあって、苦しむ存在であり、
    これは調伏しなければならない存在である。一切の有情は平等なのであるから、忿怒は調伏の働きがある。
    (忿怒の調伏)

   B世の一切の有情は、その背後に潜む法性(不変の本質)の現象界における差別と展開に他ならない
    のであるから、この法性を強く自覚することが、そのまま大いなる忿怒である。
    (忿怒の法性)

   C世の一切の有情は、その本質においては、いかなる行為も行動も完全で不変な金剛のごときもの
    なのだから、現象の差別を離れ、この本来の金剛性を強く自覚すれば、我執にとらわれ束縛された
    行動を調伏できる。なぜならば、すべての生きとし生けるものを調伏することは、さとりのためだから
    である。
    (忿怒の金剛)

    大いなる忿怒は、そのままで大いなる歓喜となり、この教えを一字で表わす聖音「カク」を唱えたのであった。


十一段 普賢菩薩

 阿弥陀如来
 宝生如来  大日如来
不空成就如来 
 阿しゅく如来

   四段から十段までの八大菩薩の智恵と修行法をひとつに集めると、普賢菩薩になる。「四種の出生」





   @まず、すべてのものは、その本質において平等であり、現象界で見られる区別は仮のものに過ぎない。
    したがって、ものの本質を観る根本の理性(真実なる智慧の理趣)は、万物の平等性に他ならない。
    (阿しゅく如来:第三段と第七段の統合)

   Aまた、自他の執着を離れて、すべてのものの平等を自覚すれば、この世の一切の義と利は、
    自他の追及の対象ではなく、あらゆるものの義と利になるからである。したがって、ものの本質を
    観る根本の理性(真実なる智慧の理趣)は、万物に普遍している共通の利益に他ならない。
    (宝生如来:第五段と第九段の統合)

   B次に、すべてのものは、共通する清浄なる法性があるのであるから、ものの本質を観る根本の理性
    (真実なる智慧の理趣)は、万物に普遍している共通の法性それ自体に他ならない。
    (阿弥陀如来:第四段と第八段の統合)

   C最後に、すべてのものの事業(三業:働き)は、実在界の本質に根ざす事業そのものなのだから、
    ものの本質を観る根本の理性(真実なる智慧の理趣)は、万物の事業それ自体に他ならない。
    (不空成就如来:第六段と第十段の統合)

    大日如来は、一切の如来と菩薩が相互に関連して集会した三摩耶(実在と現象の差別がなくなった
    曼荼羅)に入られて、「世の一切は空しからず」という境地を一字で表わす聖音「ウン」を唱えたのであった。


   胎蔵界曼荼羅 外金剛部

十二段 外金剛部 われわれの体には仏が宿っているのだ。 「四種の蔵性」

   @まず、一切の有情は、その本質において、如来となりうる清浄な可能性を内に蔵している。
    これは如来蔵と呼ばれる。なぜならば、大日如来のあまねくゆきわたる光明は、一人一人を離れて、
    全一なる一切我として、広くあちらこちらにゆきわたっているからである。これは普賢菩薩の徳として
    人格的に表現されている。
    (大円鏡智)

   Aまた、一切の有情は、その本質において、平等の堅固にして不変なる智を蔵すること金剛の
    ようである。なぜならば、虚空蔵菩薩の智慧の水によって灌ぎ浄められているからである。
    (平等性智)

   Bさらに、一切の有情は、その本質において、妙なる法を内に蔵する。なぜならば、すべてのものは、
    この正しき理を覚える時、自己と他者のために、誰でもが理解できる言語を活用して、その真理を
    再現して伝達できる。これは観自在菩薩のごとくである。
    (妙観察智)

   Cそして、一切の有情は、その本質において、羯磨(はたらき)が本来清浄にして純粋なる活動を
    内に蔵する。なぜならば、すべてのものの働きは、宇宙本然の活動の発現であり、あなたたちの
    身口意の三密の活動が、そのまま如来の三密の活動となるからである。これは金剛拳菩薩の徳目である。
    (成所作智)

    「有情みな加持す」という真理を明かにしようと考えて、「金剛のごとく不壊にして自由なる真理」を
    一字で表わす聖音「チリ」を唱えたのであった。


十三段 七母天 同じく外金剛部の七母天たちにも、仏性はそなわっているのだ。

   天母(めがみ)である七人とは、炎魔天母、童子天母、毘しゅぬ天母、倶吠羅天母、帝釈天母、
   暴悪天母、梵天母。

   四摂
     「未だに仏道に近づかないものを近づけること(徴召)」、
     「近づいたものを仏道に導き入れること(摂入)」、
     「仏道を破壊したり有情(生きとし生けるもの)を殺すような不善な心を滅ぼすこと(能殺)」、
     「仏道に住した修行者を大悟させること(能成)」

   、これらの願いを一字で表わす聖音「ビュ」を唱えたのであった。


十四段 三兄弟 同じく外金剛部の三兄弟たちにも、仏性はそなわっているのだ。

     三人の高神たち(梵天:ブラフマン、大自在天:シヴァ、那羅延天:ヴィシュヌ)

     大日如来に礼拝し、自らの心に生じたさとりを一字で表わす聖音「ソハ」を唱えたのであった。

十五段 四姉妹 同じく外金剛部の四姉妹たちにも、仏性はそなわっているのだ。

     この法門の四つの部門を、それぞれ受けた四人の天女たち
     (適悦:ラテイ、死天妃:マラニー、猪美妃:ヴアーラヒー、成就美妃:シッデイカーシー)

     自らの心中のさとりを一字で表わす聖音「カン」を唱えたのであった。

十六段 宇宙は五部各々がそれぞれに五部をそなえて無限大に広がっている。

    @まず、究極の真理(般若波羅蜜多)は量に限りがない。
      したがって、それは一切の如来に及んで欠けるところがない。
      (無量)

    Aまた、究極の真理(般若波羅蜜多)は辺に限りがない。
     したがって、それは一切の如来に及んで例外がない。
     (無辺)

    B次に、すべてのものの構成要素は清浄で同一な性に基づいているのだから、
     究極の真理(般若波羅蜜多)は一性である。
     (一性)

    Cまた、すべてのものは、それ自体が絶対究極なのであるから、
     究極の真理(般若波羅蜜多)は究竟である。
     (究竟)

     故に大日如来と四仏の真言「バン ウン ウン ウン ウン」を唱えるのです。


十七段 煩悩の根本である欲・触・愛・慢を避けるのではなく、大欲に変える修行を続ければ、必ず大楽の世界に往けるであろう。五秘密の巻

 金剛薩た菩薩
 金剛愛菩薩  阿しゅく如来  金剛王菩薩
 金剛喜菩薩

金剛部(東)


 


   @菩薩は小さい我を離れ、自らの欲望そのものを、普遍的な大きい我とするがゆえに、
     いついかなるところでも、大いなる楽を得る最勝の境地に到達する。

    A菩薩は最勝の大楽の境地に到達するがゆえに、一切の如来の最勝の大いなる菩提(さとり)
     を完成成就することができる。

    B菩薩は一切の如来の最勝の大いなる菩提を完成するがゆえに、強力な悪を摧く一切の如来の
     最も勝れた徳を得ることができる。

    C菩薩は強力な悪を摧く一切の如来の最も勝れた徳を持っているがゆえに、三界のいかなるところ
     にあっても自由な境地に到達できる。

    D菩薩は三界のいかなるところにあっても自由な境地に到達するがゆえに、世のすべての生きとし
     生けるものが生死にさ迷うを止める。


    それはなぜかを百字の偈(詩)によって示そう。

  菩薩は勝れし智慧を持ち、なべて生死の尽きるまで、つねに衆生の利をはかり、たえて涅槃におもむかず。
  世にあるものもその性も、智慧の及ばぬものはなし。ものの有姿もその本性も、一切のものはみな清浄し。
  欲がこの世をととのえて、よく浄らかになすゆえに、すぐれしものもまた悪も、みな残らずにうちなびく。
  蓮華が泥から咲きいでて、花はよごれによごされず、すべての欲もまたおなじ。そのままにして人を利す。
  大いなる欲はきよらかで、大いなる楽に富みさかう。三界の自由を身につけて、堅くゆるがぬ利を得たり。

                   菩薩勝慧者  乃至盡生死 
                   恆作衆生利  而不趣涅槃 
                   般若及方便  智度悉加持 
                   ゥ法及ゥ有  一切皆C淨  
                   慾等調世閨@ 令得淨除故
                   有頂及惡趣  調伏盡ゥ有  
                   如蓮體本染  不爲垢所染 
                   ゥ慾性亦然  不染利群生 
                   大慾得C淨  大安樂富饒  
                   三界得自在  能作堅固利


             これを一字で表わす聖音で唱えよう「ウーン」


流通    八十億の仏たちが金剛薩たに称賛の声を送る。
   
合殺    読経する者が大日如来を称える。

回向    読経する者が諸仏に回向の祈願をする。

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