三教指帰 (2)巻上 亀毛先生論

序文
巻上 亀毛先生論
巻中 虚亡隠士論
巻下 仮名乞児論
無常の賦
受報の詞
生死海の賦
大菩提の果
十韻の詩          内容として、8つの段落に分けて、ぼちぼちUPします。

        
       本文・書き下し文   訳 文
第一巻   亀毛先生論
亀毛先生という方がいます。生まれつき聡明俊敏で、顔かたちも優れた、目をみはるばかりの偉丈夫です。
儒教の九つの経典や昔の歴史書をことごとく記憶して、農業、薬草、医学、占いの術にも通暁しています。
その言葉の巧みなこと、わづかに舌を動かせば枯れた木に花を咲かせ、たった一言を発すれば道ばたの骸骨も生き返ってしまうほど。
蘇秦、晏平といった有名な雄弁家も舌を巻き、張儀、郭象といった優れた政治家も言葉を失って黙り込むほどです。
この亀毛先生が、休暇の日に、たまたま兎角公の館に立ち寄りました。
兎角公は宴席を設けご馳走を用意して、お酒を酌み交わしました。
二人は久しぶりの挨拶を交わすと、親しく語り合いました。
ところで、兎角公の母方の甥に蛭牙公子という若者がありました。
この男は、狼のような無慈悲な心の持ち主で、何を教え諭しても聞き入れることがありません。
虎のように暴悪で、礼儀をわきまえません。
賭け事にうつつを抜かし、狩に熱中しています。
遊びごとにばかり耽って頼りがいもなく、その驕り昂ぶる性格は目に余るものです。
罪が不幸を招き、善が幸福を呼ぶ因果の道理を信じることがありません。
大酒を飲み、たらふく食べて、女に溺れ、眠りをむさぼります。
親戚に病人が出てもさらさら心配する様子もなく、お客様があっても丁寧にお迎えしたことがありません。
父や兄を小馬鹿にして、学徳に優れた老人に対しても傲慢な態度を改めません。
兎角公は、亀毛先生に語って申します
「わたしは次のように聞いています。
王豹の謡は高唐地方の人々の心を虜にし、学問好きの文翁は野蛮な蜀の国を学問で教化し治めました。
淮河の南に生える橘も、淮北に移すと自然に枳(からたち)となり、曲がりくねったヨモギも麻と一緒に育てれば手を加えなくても自ずから真直ぐに育ちます。
お願いでございます。先生、秘密の鍵を用いて儒学の奥義を明らかにして、甥のかたくなな心を諭し、秘密の鈴を振り鳴らして愚か者の耳を覚醒させてください」
亀毛先生は答えます
「智者は教えなくても知り、愚者は教えても無益であると聞いています。
古への聖人ですらなおためらったことを、わたくしのような愚かな者に、どうしてすることができましょう」
兎角公は続けます
「昔の賢者は、対象に即して心をめぐらし詩を作るものと申しております。
その時々の状況に応じて文章を作ることが昔から貴ばれています。
そのゆえに韋昭が賭博を誹る文、元淑が邪悪を憎む詩、それが書物になって、世を経て人々の戒めとなっているのです。
 また、鈍い刀が骨を切るには、必ず砥石の助けが必要です。
重い車が軽々と走るのは、車軸に油を注してやるからです。
木や鉄など知恵なきものですら、かくのごとしですから、心を持った人間を教え諭すことができないわけがありません。
亀毛先生、どうぞ、甥の心から愚かな迷いを洗い落として、迷路の出口を指し示し、未熟な愚か者を治療して、真っ直ぐな人の道に連れ戻してやってください。
 それこそ、やりがいのある、愉快な仕事ではありませんか」
 ここに亀毛先生は、心わずらい、魂を悩ませて、呆然として溜息をつきました。
天を仰いで嘆き、地に伏して思い悩みました。
長く溜息をついていましたが、やや久しくして、大いに笑って申します。
「三度も懇願されては、お申し出を拒むことはできません。
浅学非才の身ではありますが、わたくし自身の経験をお話し、“心を治めて散逸させない”そのあらましについて、愚見を披露いたしましょう。
ただし、わたくしには水の流れるような弁舌や、あの鄭玄のような深い智慧などありません。
陳琳の読む者に頭痛を忘れさせるほどの、また、魯連の矢文をもって敵の将軍を自殺させるほどの文才もございません。
儒学の趣を述べようとしても語りつくすことかなわず、語ることをやめて沈黙しようとしても、心は憤々と悶えて止まず、抑え忍ぶことも容易ではありません。
わたくしは古今の事跡に託していささかのお話しをして、その一隅を示すにとどめ、残りはどなたか別の方にお任せいたしましょう。
[儒学の教え]
 ひそかに考えてみれば、原初の混沌から天地が開闢して後に、霊長たる人類が生まれました。
そして天地陰陽の気の交わりを受けて五体を備えたのです。
この中にも、賢者は優曇華のように稀で、愚者は雑木のように多いのです。ですから、善を仰ぐ者は麒麟よりも稀で、悪に耽る輩は龍の鱗よりも多いのです。
人の行いは好むところに従って様々で、顔つきが人それぞれみな違うように心も異なっているのです。
玉と石が似ているようで類を異にするように、人を論ずるにも九等の区別があります。
愚か者は賢者に遠く及ばないものです。
そして愚も賢も、おのおのが好むところに赴けば、石を水に投げ込むように意気投合して仲間になるし、嫌うところでは水と油のように反発して混じり合いません。
まことに悪習が身につくこと、あたかも魚屋は干物の臭いが染み付いて取れないように、また畑の麻が自然に真っ直ぐに伸びるように、いずれも習慣次第なのです。
頭の虱は自ずから黒くなり、棗(なつめ)を食べる晉人の歯は黄色くなるように、習い性となるのです。
蛭牙公子よ、あなたは、このままでは表向きは虎皮の文様のように立派でも、内は錦袋に入れた糞と同じです。
『人は学ばなければ、肉を見てただ食らうことのみを知る禽獣と異ならない』という誹りを一生にわたって受け、『愚者はあたかも盆を頭に載せているので天を望むことができない』という嘲りを長く受けることでありましょう。
何と恥ずかしく、哀しいことでしょうか!
 わたくしが思うに、玉は磨かなければ光を致さず、錦も川で濯ぐことによってしだいに文彩が明らかになるのです。
盗賊の戴淵は志を入れ替えて将軍の位に登り、やくざな嫌われ者の周處も心を改めて忠孝の誉れを得たのです。
それならば、玉は磨き出すことによって前後十二乗も並んだ車を照らし出す宝玉となり、人は切磋することで犀や象の皮を切断する利刀のような英才になるのです。
素直に教えに従えば、取るに足らない凡庸な者でも天子を輔弼する高官の位に登ります。
頑なに諫めごとに逆らうときには、天子の末裔も愚民に身を落とすでしょう。
昔から、『木は縄に従って直し』と言われています。
人は諫めごとを容れて聖なり、ということは、決して空言ではありません。
上は天子から下は凡庸の民に至るまで、学ばなくしてよく覚り、教えに乖いて自ら道理に適うということは、未だございません。
夏の桀王と殷の紂王は忠臣の諫言を容れずに国を滅ぼし、周の西伯と漢の高祖は徳高くして臣下の諫言を入れて国家が興隆したことは、前者の失敗が後者への警告となり戒めとなった好個の例であります。
戒まなければなりません。慎まなければなりません。
蛭牙公子よ、あなたは、耳目をそばだてて、謙虚に、注意深く、わたくしの教えを聞き、自分の陥っている迷いの道を覚らなければなりません。
[蛭牙公子への訓戒]
 あなたのありさまは、上に対しては父母を侮ってないがしろにし、外出に際しては親に告げ、帰宅すれば挨拶をする孝行もなく、下の民草に向っては憐れみ慈しむ心のないこと、誰よりも勝るほどです。
狩猟のために山野を歩き回り、漁どりに海原に漕ぎ出しています。
ひねもす戯れ遊び暮らすさまは、あの暴虐驕慢な州吁を凌ぐほどで、よもすがら賭博に耽ること、母の臨終のときにも大酒を飲み囲碁に熱中していた嗣宗にも過ぎるほどです。
ためになる言葉からは遠く離れて、寝食も忘れて遊びごとに熱中しています。
『明らかなること水鏡のごとく、清きこと氷霜のような行い』など全くなく、大渓谷が水を入れるように限りなく深い欲望が燃え盛っています。
獣を食らうこと獅子や虎のごとく、魚を食らうこと弱者をほしいままに併呑する憎むべき鯨にも勝ります。獣や魚どもを、前世の父母妻子兄弟と観じて食わない心がけなどありません。
ましてや、この世の生きとし生けるものは、みな我が父母と思い、これを殺めることは父母を殺し我が故身を殺すことだと観じて、殺生を止めることなど、思いもよらないでしょう。
あなたが酒を嗜んで酩酊し夏蝉のように騒ぎ散らすこと、渇きに苦しんでいる猿ですら、そのあさましさに恥入り、食を求めて徘徊すること、飢えた蛭どころではありません。
華厳経に説かれる、草の葉の滴ほどの酒ですら、口に入れることなかれ、という戒めに耳を貸さず、昼夜の区別なく貪り食らい、少食にして正午以降は食事をしない戒めなど顧みることもありません。
頭髪がヨモギのようにボサボサに乱れた卑しい女を見ても、好色で知られる登徒子よりもひどいありさまで、いわんや艶かしい美人を見たら、王女を見て焦がれ死んだという漁師の術婆伽の逸話は、他人事ではないでしょう。
 あなたの胸の中は、春の馬や夏の犬のように性欲熾烈なのです。
女性を老猿、毒蛇と観想する気持ちを起こすことなど思いもよりません。
まるで大猿が梢で暴れまわるように遊女屋で歌い騒ぎ、学堂では悪賢い兎が居眠りをするようにあくびをする始末。
眠気を払いのけるために梁に懸けた縄に首を掛け、腿を錐で刺して勉学に打ち込む心がけは、全く欠けています。
願いといえば、右手に盃を、左手に蟹を握って酒に耽る夢ばかりで、書を読むために蛍を集めることなく、銭を持てば前後の見境なく飲んでしまいます。
もし、たまたま寺に入り仏を見ても、罪咎を懺悔しないで、かえって邪心を起こします。
仏のみ名を一度唱えるだけでも菩提の因となり、貧者が一灯を捧げたことが成仏の機縁となることを未だ知りません。
師匠の側に侍り訓戒をいただいても、自分の落ち度を顧みないで、返って先生の教えを恨みます。
先生が繰り返し丁寧に教えてくださること実の子に対するように、弟子に対する懇ろな思いは兄弟の子に対するよりも重いことに、思い至らないのでしょうか。
好んで人の短所をあげつらい、『人の短をいうことなかれ、己が長を説くことなかれ』という、あの崔玉子の十韻の座右銘を顧みることなく、しばしば余計なおしゃべりをして、『多言することなかれ、多事なることなかれ、安楽にして必ず誡めよ』という三緘の戒めを守りません。
君子の言葉はその栄辱を左右するのだから、軽率に他人の悪口などを口にしていれば、やがて親族も財産も滅ぼすに至ることを承知しているくせに、それでも軽口を慎みません。このような不祥事は、枚挙にいとまがありません。
名づけの名人禹の筆も記しきれず、計算の達人隷でさえ数え切れません。
もしまた、旨いものを食らって徒に百年の月日を空しく過ごしてしまったら、ケダモノと同じです。
華麗な着物をあたたかく着て空しく四季を過ごしていては、犬や豚と変りません。
礼記には、『元服して冠をつけた若者は、父母が病のときには、髪を梳らず、立居を慎み、音楽も控え、酒も顔色が変わるほどは飲まず、歯を出して笑うこともしない』と説かれています。
これは親を思うこと骨髄に徹して、あえて容装を控えるのです。
また、『隣家が喪に服しているときには、臼を突くときにも杵歌を歌わない。
里に殯(もがり)があるときには、巷で歌声を上げない』とも説かれています。
これは、人々と憂いをともにして、親疎の分け隔てをしないのです。
疎遠な人にも、近親の人にも、このように礼儀を尽くすべきなのです。
でありますから、親族が病に罹れば、医者を迎え、処方される薬をまず自分で試してみるほどの真心がなければ、見識ある人々は、恐れ呆れて横目で見ることでしょう。
民衆の間に憂いがあるときには、一緒に憂い、訪問し慰める情けがなければ、物事の道理に明るい者、思慮分別のある者は、こころに恐れを抱き、穴でもあれば入りたいと思うでありましょう。
あなたは姿かたちは禽獣と異なるのですから、心まで木石と同じことがありましょうか。
体は人の姿をしていながら、なぜあなたの心は鸚鵡や猩猩に似ているのでしょうか。
[儒教を学ぶ効果]
蛭牙公子よ、もし、あなたが悪を玩ぶ心を入れ替えて専ら孝徳を行えば、父が死んでから三年の間血涙を流した高柴、母を養うためわが子を埋めようとして穴を掘り、黄金の釜を掘り出した貧しい郭巨、笋(たけのこ)好きの母のために真冬に笋(たけのこ)を得た孟宗、生魚を食べたがる母のために氷の下から鯉を得た王祥、幼くして親を失い親の木像を作り仕えた丁蘭、このような孝の鑑とされている人々をも凌駕する、素晴らしい美名を馳せることでありましょう。
心を忠義に向ければ、あなたも主君に命がけの直言をすることによって、欄干を折り、琴を投げて窓を壊すなど、朱雲や師経の死罪を覚悟して主君を諫めた者や、殺された主君の肝が捨てられているのを見て、腹を割き、主君の肝と自分の肝を入れ替えた弘演、殷の紂王を諫めて紂の逆鱗に触れ心臓をえぐり取られた比干たちなど、忠の至りと讃えられた人々を越えて、後世に諤々たる誉れを流すでありましょう。
四書五経などの経典を講論すれば、論講巧みな包咸、子夏も舌を巻いて恐れ入ることでありましょう。
歴史書を渉猟すれば、屈原、揚雄、司馬相如などの歴史家も黙り込んであなたを敬うでありましょう。
書を好めば、?の翔り、虎の臥すような勢いのある筆跡をわがものとして、書聖と言われる鐘?、張芝、王羲之、欧陽詢、欧陽通も筆を放り出して恥じることでありましょう。
弓術を習えば、堯の治世に太陽が十も現れ、過酷な日照りで作物が枯れ果てたときに、太陽を射落として人々を救ったとされる?や、また弓を手に取っただけで狙われた猿も泣き叫んだと言われる養由基ほどに巧みな術によって、これらの名人たちも、弦を絶って嘆くことでありましょう。
戦陣に赴けば、張良、孫子も、神人黄石公から授かった『三略の術』があなたには通用しないことをいたみ、農事に携われば、瞬く間に巨万の富を築いた陶朱公や猗頓も、自分たちに蓄えがないと愁うでありましょう。
まつりごとに臨めば、賄賂を受け付けない政治によって清廉の誉れを馳せ、訴訟にあたっては、公正な裁きによって後世に美名を広めることでありましょう。
潔く慎み深ければ、我が子に決して嘘をつかなかった孟子の母や、勅使の招聘を断って山中で薬草を採って暮らした孝威のようであり、廉潔ならば、首陽山で餓死した伯夷や、堯から天子の位を譲ると聞かされて川で耳を洗った許由のようでしょう。
もし医術や技芸に心を向ければ、外科手術を施して心臓を入れ替えたり、胃を取り出して疾穢を洗った扁鵲、華他の奇異の術を越えて名声を勝ち得るでしょう。
斧を振るって鼻先に着いた蝿の羽ほどの汚れを削り落としたという匠石や、彫り物の鳶が本当に空を飛んだという公輸般の妙技を凌いで後世に喧伝されるでしょう。
もしこのようになれば、清濁併せ呑む器量の大きさは叔度にも等しく深く広くして計り知れず、森厳な風格は?嵩にも比べられて、観る者は深さを測ることができず、仰ぐものは高さを見届けることができないでしょう。
さらに郷土のよいところを選んで家を作り、土を選んで屋とし、道理をとって床とし、徳をひっさげて褥とし、仁を席として座り、義を枕にして臥し、礼を襖として寝ね、信を衣として日常を送るべきです。
一日一時をも慎み、念々に思い努めて力を尽くし、よくよく勤めるべきです。
そして書物と紙筆は片時も離してはなりません。
以上のように勤め精進すれば、学問上の集まりで議論すれば、朱雲が五鹿充宗を論破して高慢な五鹿の角を摧いたと讃えられ、学生たちの論難に対しては、戴憑が五十人もの学者と対論して勝ち抜いた故事にも匹敵する働きができるでしょう。
湧き出でる弁舌の泉は蒼海のように限りがなく、文筆の森は青々とした樹々を豊穣に繁らせるでありましょう。
玲々として玉のごとくに振る舞い、名文家の孫綽や司馬相如を凌いで功績を重ね、曄々として金のごくに響いて、文豪の揚雄や班固を超えて美しい花房を連ね実らせるでしょう。
その筆の速さは文帝が瞬く間に屈原の『離騒』の注釈を書き上げたほど、禰衡が宴席で即興に鸚鵡を賦してその詩が完全だったことにも匹敵するでしょう。
詩賦の苑に遊び戯れ、文章の野に休息します。
そうすれば、貴人たちの豪華な車が門の外に集り並び、たくさんの贈り物の玉帛を捧げた人々があなたの粗末な門構えの前に居並び伏すことでしょう。
魏の文侯が貧しい?干木を訪ねたように貴人は徳を慕って訪れるのですから、甯戚が牛の角を叩いて不遇を嘆き桓公に仕官を願ったような真似をする必要はありません。
太公望は草屋に住んで田を作り魚を釣りながら高位に登ったのですから、憑驩が刀の柄を叩いて孟嘗君に立身を求めたような真似もすることはありません。
偶然の幸いなどに頼らなくても三公の高位に登り、自ら衒わずに三公九卿に列します。
地面の塵の中から卿大夫の地位を拾うことなどは、一瞬にして成就します。ですから、印綬を結ぶためには、迷わずに股錐の努力に励まなければなりません。
そして仕官がかなったら、父母への孝を忠に移して君主に仕え、まごころをもって友と交わります。
名剣を佩びて鏘鏘とし、圭勺をさしはさんで威厳を備えます。
紫宸殿に進退し、天子の庭に仰ぎ俯します。
朝廟に登って政治に携われば栄誉は四海に満ち、市井に出て民衆を慰撫すれば、政治に不満を抱き誹る者はいなくなるでしょう。
あなたの名前は史書に記され、繁栄は後裔に受け継がれるでしょう。
高位をまっとうし、諡を贈られることでしょう。
これこそ、これ以上を望むことのできない、不朽の盛事であります。
[結婚について]
もしまた、遊び暮らす人生の日々は楽しいけれど、死んだ後には、共に楽しむ人もありません。
天上の牽牛星も独り住むことを嘆き、水中の鴛鴦もつれあいと一緒にいることを歓びます。
このゆえに、詩にも婚期を過ぎつつある娘を歌った『七梅の嘆き』があり、書にも堯帝が二人の娘を臣下に嫁がせた『二女の嬪』が残されています。
しかれば、人は、展季のような女嫌いでなければ、どうして伴侶を持たないことがありましょう。
世間の人々は、隠者の子登とは違うのですから、どうして独り枕することがありましょうか。
かならず名族の中から美人美女を選んで娶るのがよろしいでしょう。
婚礼の迎えの車は轟々と音を立てて巷に溢れ、供の乗る馬どもは躍り上がって城郭の外を進みます。
花嫁の従者はまぶしい陽光に袂をかかげて歩み、輿を担う者どもや馬の手綱を引くものは、滝のような汗を流します。
里帰りには、輿の上に紫の天蓋が懸けられ、豪華な繍服を着た供の者たちは地を払って風のように歩みます。
このように花嫁を迎える礼を尽くし、送り出す義を極めるのです。
夫婦は寝食を共にし、酒を楽しむときには瓢を二つに切って盃として使います。
そうして一心同体の暮らしをして龍と鳳凰に喩えられるような夫婦となれば、美しい妻は玉簾の奥に豪華な臥所を整えて、あなたが帰るのを心待ちにするでしょう。
 夫婦は琴の調べが和するように仲睦まじく、膠漆よりもかたい契りを深めます。
二人一緒に仲良く老いて行き、最後は同じ墓穴に入るのです。
結婚こそ、一生涯の愁いを消して、百年の歓びを楽しむものです。
 また、時には親族を集め、友人を招き、ご馳走でもてなし佳き酒をふるまい、盃を重ね酌み交わすがよろしいでしょう。
客は琴や笙などさまざまな楽器を奏でて『我帰らん』という詩を詠み、主は客が帰れないように車にいたずらをして、帰路には露が多いなどと引きとめます。
宴に日を重ねて客は帰ることを忘れ、毎夜舞踏に興じ、天下の楽しみをほしいままにして、この世の歓楽を尽くせば、これほどの楽しみはないでしょう。
 蛭牙公子よ、早く愚かな執着を改めて、専らにわたくしの教えを習うべきです。
まことに、かくのごとくならば、親に仕える孝窮まり、君に仕える忠備わるでありましょう。
友に交わる美普く、子々孫々まで繁栄させる慶びに満たされるでしょう。
身を立てる大本、名を揚げる要は、けだしかくの如くであります。
孔子さまは『耕すときは飢その中にあり、学ぶときは禄その中にあり』とおっしゃっていますが、まことにその通りであります。
この言葉を常に肝に銘じるべきでありましょう」
 ここに蛭牙公子は跪いて申します
「謹んでご教示を承りました。今より後は、心を専らにして習い奉ります」
 兎角公は席から下りて再拝して申します
「素晴らしいことです。素晴らしいことです。
昔、雀が変じて蛤になることを聞いても、なお疑いを抱いておりました。
今、蛭牙の鳩の心が変化して鷹になるのを目の当たりにしました。
葛公は口に含んだ白飯を蜂に変え、左慈は難を逃れるために羊に化けたそうですが、この気狂いの蛭牙を聖人の道に導きいれた先生の弁舌に勝るものはありません。
いわゆる『漿(こんず)をもとめて酒を得、兎を打って?(くじか)を獲た』というのは、このことでしょうか。
詩経を聞き礼記を聞く者も、今日の勝れた誘いと勝れた教えに過ぎることはないでしょう。
ただ蛭牙を誡めただけでなく、わたくしも生涯の座右の銘として、日々味わうことにいたします」