仏の尊格について

 とてもわかりやすい説明で、まとめさせていただきました。 http://www.e-butsudan.com/02_butsuzou_1.html

仏教には様々な仏、菩薩様などがいらっしゃってとても複雑です。それぞれの尊格を鑑賞し、
お祀りすることは、自分の心の中にいる力を触発し、成長させることになります。灌頂などよって
自分の仏様を見つけ、お祈りするばかりでなく、それぞれの仏様に出会い、触発されることに
より、潜在的な自分の能力を育てては、いかがでしょう。

「仏陀」とも、「如来」とも呼びます。悟りを得て解脱した存在です。
如来 「あるがままの真理に到達した者」、インドの原語では「あるがままの真理を悟った者」という意味です。
部派仏教(小乗仏教)では、基本的に仏教の開祖であるお釈迦様(ゴータマ・シッダールタ)以外の仏を認めません。
大乗仏教では、 お釈迦様以外にも、過去にも未来にも、また他の世界にもたくさんの仏がいらっしゃると考えます。
仏頂 仏の頭頂の盛り上がった部分を仏の智慧の象徴と考え、その陀羅尼を尊格にしたのが「仏頂」です。息災・敬愛などの祈願に使われる一字金輪仏頂の修法は、真言宗の最奥義です。一方、除災・招福の祈願に使われる熾盛光仏頂の修法は、天台密教の最奥義です。また、仏頂尊勝(ウシュニーシャヴィジャヤー)は女性の仏頂で、最強の陀羅尼を持っていると考えられ、蒙古襲来の時に蒙古降伏に使われました。
仏母 如来が持つ空の智慧などを尊格化したのが「仏母」です。
智慧が仏を生むから「仏母」と呼ぶのですが、 「智慧・般若(プラジュニャー)」、「波羅蜜(パーラミター)」、「空(シューニャ)」はすべてインドでは女性名詞なので、これらを女性の尊格とすることは自然なことなのです。
「仏母」はほぼ仏・如来と同格の女性の尊格です。
般若仏母が最初に考えられた「仏母」です。
後期の密教では、「仏母」は物質の根源的な元素や気のエネルギーを象徴するようになって、「荼吉尼」や「母天」と呼ばれる女性尊が「仏母」と等しい存在と考えられるようになりました。

仏の悟りの根源である空の智慧などを尊格化したのが「仏母」達です。空の智慧が尊格化された般若仏母(仏母般若・プラジュニャーパーラミター)は、日本では般若菩薩を呼ばれることが多いですが、仏母と考えてよいでしょう。仏眼仏母(ローチャナー)は如来の眼力を現した尊格で、息災・延命・降伏の祈願がなされます。子宝祈願の准胝観音(チュンディー)、多羅菩薩(ターラー)、白衣観音(パーンダラー)などは日本ではたいてい菩薩と考えられていますが、仏母と考えられることがあります。「輪廻の海を渡るのを助ける女性」を意味する多羅は、日本ではほとんど知られていませんが、インド、チベット、ネパールでは重要な尊格で、中国では救度仏母と呼ばれます。
本初仏 後期の密教では、宇宙の初めから存在する最も根源的な如来として「本初仏」を考えるようになりました。
金剛さったなどが「本初仏」と考えられました。

如来が描かれる時は、それぞれの如来ごとに決まった印相(手の姿形)があるので、これによってどの如来であるかを見分けることができます。

もともと、如来は修行僧の姿で描かれまていましたが、後期の密教になると、菩薩のような着飾った姿や、たくさんの顔・腕を持った姿、怒りを現した姿、女性の尊格と交わった姿など、様々な姿で描かれるようになりました。

金剛さったは、本来は雷神であるインドラの武器である稲妻のことであり、密教の法具にもなっている金剛杵のことです。また、同時にダイアモンドでもあります。それが、煩悩を破壊する堅固な仏の智慧の象徴となりました。
金剛さったは、金剛杵を尊格化した存在で、堅固な菩提心(慈悲と悟りを求める心)の象徴です。しかし、金剛杵と共に金剛鈴を持ち、智慧と慈悲の統一を象徴しています。金剛サッタは、密教では菩薩の代表とされる普賢菩薩と、金剛手(ヴァジュラパーニ)とを合わせて生まれた尊格です。金剛手や金剛サッタはお釈迦様や大日如来から密教の教えを最初に受けた存在です。金剛さったは日本(中期密教)では菩薩ですが、後期密教では「本初仏」にまで昇格しました。

菩薩 お釈迦様は、過去に何度も生まれ変わって修行をされてきた結果、とうとう悟られて仏になったのだと考えられています。「菩薩(菩提さった)」とは「悟りを求める者」という意味で、本来はこのお釈迦様が仏になる前の修行中の姿を指して呼びました。


大乗仏教は、従来の部派仏教(小乗仏教)の僧侶が世俗を避けて自分の悟りのための修行ばかりしていて、
お釈迦様のように他人を救うことをしないことを批判し、他人を救うことを重視して活動する存在を、「菩薩」と
呼ぶようになりました。

密教では、菩薩は人々を救うために様々な姿、沢山の顔や腕を持つ姿などで現れると考えるようになりました。
千手観音のように、特別な姿で現れた観音を「変化観音」と呼びます。
また、如来が人々を救うために仮に菩薩の姿をとって現れることもあると考えられるようになりました。


象徴的・連想的に経典の真理を伝える呪文的な文言を「真言(マントラ)」とか「陀羅尼(ダラニ)」と呼びます。
「真言」は比較的短いもの、「陀羅尼」は比較的長いものが多いようです。

また、「真言」は男性名詞なので男性の尊格、「陀羅尼」は女性名詞なので女性の尊格と関係が深いようです。
真言・陀羅尼は唱えることで、その真理の内容を心の中に呼び起こすことができます。
真言・陀羅尼は密教で重視されますが、初期の仏教の頃から存在し、日本でも浄土真宗以外は唱えます。

やがて、真言・陀羅尼の言葉の力そのものが神格化されるようになりました。

明王 「明」とは真言・陀羅尼の智慧のことで、それを身につけている人を「持明者」と呼びます。
「明王」は「持明者」の王、あるいは最高の「明」という意味です。
「明王」は真言・陀羅尼の力そのもので、密教で重視される尊格です。
「明王」は「仏」や「菩薩」が仮の姿で現れたものだと考えれるようにもなりました。
「菩薩」は慈悲を持って人を救う姿、「明王」は力をもって人を救う姿というわけです。
「明王」は「菩薩」とほぼ同格の尊格でしたが、後期の密教では「明王」の方が重視されるようになりました。
多くの「明王」は、怒りを現した表情に、髑髏の飾りをつけたり、動物の生皮を着たりと恐ろしい姿をしています。
多くの顔や手を持つこともあります。これは仏教の敵を倒し、人間の心の中の煩悩を打ち砕き、救いがたい
人間を救うための姿です。だから、明王には息災や降伏を祈願することが多いのです。
明妃 孔雀明王はインドでは女性なので、正しくは「明妃」と呼ぶべき尊格です。
真言・陀羅尼を尊格化した女性の尊格を「明妃」だと考えることができます。
後期の密教では、如来などが女性尊達と交わった姿で描かれることがあって、
これらの女性尊を「明妃」と呼ぶこともあります。いずれの場合も、「仏母」も含めて「明妃」と表現されます。
女性尊の位については、「仏母」か、女性の「菩薩」か、真言・陀羅尼の尊格化としての「明妃」か、はっきりしないことが多いようです。ですから、チベットでは「女性尊」という分類を設けています。
守護尊 特に後期密教の経典の主尊は、チベットでは「守護尊」と呼ばれ、如来の特別な現れと考えられ、如来と同格の存在として大変重視されました。「守護尊」には時輪仏などがいて、金剛亥母など女性の尊格もいます。
後期密教の経典にはそれぞれ主尊がいます。これらは「明王」が発展した尊格で、チベットでは「守護尊」と呼ばれ、重視されました。これらの多くは、怒りを表した表情で、多くの顔や腕を持ち、女性尊と交わった姿で表されます。『カーラチャクラタントラ』の時輪金剛(カーラチャクラ)、『秘密集会タントラ』の阿しゅく金剛(グヒヤサマージャ)、『ヘーヴァジュラタントラ』の呼金剛(ヘーヴァジュラ)、などです。金剛亥母(ヴァジュラヴァーラーヒ)のような女性の重要な守護尊もいます。
「守護尊」には2つの系列の尊格があります。一つは、大威徳明王から発展したヤマーンタカ系、もう一つは降三世明王から発展したヘールカ系です。ヘールカはもともとはガネーシャに関係していますが、ヒンドゥー教の女神達やシヴァ神の暗黒の側面を降伏する役割の守護尊です。時輪金剛はこの2つの系列を合わせた尊格で、ペルシャの無限時間の神ズルワンと関係していますが、イスラム教の神を降伏する役割の守護尊と言われています。


仏教では、神様も悟っていなければただの神様でしかありません。
人間と同じようにやがては死んで輪廻する存在で、もちろん、仏よりも低い存在です。
主にインド(バラモン教やヒンドゥー教)の神々を「天」を呼びます。「天」は「デーヴァ」の漢訳です。
インドでは善神達を「デーヴァ」、悪神達を「阿修羅(アスラ)」と呼びます。
ただ本来は、「阿修羅」は「デーヴァ」の親の世代に当たる、至高の神々でした。


仏教は、中央アジア、チベット、中国、韓国、そして日本と、各地でそれぞれの神々を取りれてきました。
天部には福徳や財宝など現世利益に関する尊格も多くいます。
こういったお願いは、なかなか仏や菩薩にはできないので、天部にお願いすることが多いようです。

天部 「天部」には帝釈天、梵天、毘沙門天、大黒天、聖天などがいます。
また、女性の「天部」には弁才天、吉祥天、荼吉尼天などがいます。
密教では、神々は仏や菩薩が仮の姿をとって現れたものだと考えられこともあり、日本では「権現」、「明神」と呼ばれるようになりました。
厳密に言えば、「天」には属さない下級の神々、精霊、悪鬼達に中にも重要な尊格がいます。
ただし、「天」に属する神々かどうかははっきりと決まっているわけではなく、尊格の位は時代によって大きく変化します。
例えば、お釈迦様の警護役だった執金剛(仁王)は下級の存在でしたが、後期の密教では「本初仏」にまで登り詰めます。 執金剛(持金剛・仁王・金剛力士・ヴァジュラダラ)
「金剛杵を持つ者」という意味の尊格達です。バラモン教のインドラ(帝釈天)をモデルにしていて、シヴァ神やヘラクレスの影響も受けています。仏教では本来は夜叉と考えられ、単にお釈迦様を守る警護役でした。日本では門の両脇などで寺を守る一対の仁王・金剛力士として親しまれています。金剛手(ヴァジュラパーニ)や金剛さったも執金剛の一族と考えられています。密教時代になって、秘密の教えを最初に授けられた存在と考えられるようになり、どんどん昇格して、最後には「本初仏」にまで上り詰めます。昇格した執金剛は、金剛さったと同じく、金剛杵と金剛鈴を持ち、智慧と慈悲の統一を象徴しています。

荼吉尼も最初は下級の悪鬼の類だったのが、後期の密教では「仏母」まで含めて指すようになります。
毘沙門天、飛天なども本来は下級の神・精霊です。
護法尊 仏教では、インドの神々が仏教に帰依して、仏教を守る「護法神(護法尊)」となったと考えて、
これらの神々を信仰する人たちに布教しました。
仏教では「護法神」となった神々を「天(天部)」と呼びます。
八部衆 「八部衆」としてまとめられている尊の内の「天」以外の7つは、このような下級神の種族名です。それらは、悪神の「阿修羅(アスラ)」、天の神に仕える半神的な飛天である「乾闥婆(ガンダルヴァ)」、樹木の精霊・悪鬼の類である「夜叉(ヤクシャ)」、コブラの神である「龍(ナーガ)」、 ニシキヘビの神である「摩目侯羅迦(マホーラガ)」、蛇を食べる霊鳥である「迦楼羅(ガルダ)」、半獣半人の「緊那羅(キンナラ)」です。
鬼子母神、十二神将などもこれら下級神に属する神です。


本来、天部は王族階級、阿修羅はバラモン僧と関係が深く、夜叉などは農民や原住民の豊穣神だったという見方
もあります。

天部

梵天 バラモン・ヒンドゥー教の宇宙の創造神です。仏教では、お釈迦様が出家することを助けると共に、悟りを得られた後、人々に説法することを勧めるなど、お釈迦様と関係の深い、天部を代表する神です。
帝釈天 バラモン教の主神に当たる嵐の神です。ブラフマーがバラモン階級の代表的な神であるの対して、インドラは王族・戦士階級を代表する神です。雷である金剛杵を武器に悪龍と戦い、雨によって豊穣をもたらします。仏教では梵天と共にお釈迦様を守護する神です。須弥山の頂上にある宮殿に住んでいます。戦勝や除災・招福の祈願をする尊格で、日蓮宗で重要視されます。
毘沙門天 インドではもともとは「クベーラ」と呼ばれる神でした。本来は悪鬼の長でしたが、ヒンドゥー教では財宝・福徳の神に変化しました。本来、豊穣の神はその下に暗黒の側面を合わせ持っています。クラーベは財宝神の特徴として、大きなお腹をして、袋を持った姿をしています。この神が仏教の護法神「毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)」となり、中央アジアに伝わった時に勇ましい神に変化しました。日本でも当初は戦勝の神として信仰されましたが、不思議なことに、やがて七福神に入るような福徳の神に戻りました。
四天王 帝釈天のもと、四方を守護する持国天(ドゥリタラーシュトラ)、増長天(ヴィルーダカ)、広目天(ヴィルーパークシャ)、毘沙門天の四人の護法神です。インドでは柔和な姿をしていましたが、中央アジアから中国に伝わった頃には、甲冑をつけた武人の姿に変りました。息災のご利益があります。
十二天 八つの方角と天地、日月のインドの神を集めた12の護法神です。帝釈天、火天(アグニ)、閻魔天(ヤマ)、羅刹天(ラクシャサ)、水天(ヴァルナ)、風天(ヴァーユ)、毘沙門天、伊舎那天(イーシャーナ)、梵天、地天(プリティヴィー)、日天(スーリヤ)、月天(チャンドラ)の12神です。お寺を聖なる空間として保つ役割を果します。
聖天歓喜天 ヒンドゥー教のシヴァ神の息子で象の姿をした神です。本来は原住民の障碍を起こす神でしたが、障碍を取り除く神、財宝神、学問の神に変化しました。商売繁盛や愛欲の神としても知られています。クベーラと同じく豊穣と暗黒の両面を持っていて、大きなお腹をしていて、ネズミを従えています。日本でも、夫婦和合やどんな願いでもかなえてくれる神とされました。好物とされる大根が捧げられます。後醍醐天皇が倒幕のために修したと言われています。
大黒天 その名の通り、「大いなる暗黒(時)」という意味で、シヴァ神の暗黒の側面を指す恐ろしい神でした。仏教では怒りを現す明王的な護法神となって、シヴァ神の息子の象神ガネーシャを降伏しました。日本にも摩訶迦羅という名で伝わましたが、一部の密教僧達の間でしか知られませんでした。
先にも書いたように、暗黒と豊穣は一体なので、マハーカーラはシヴァ神の豊穣の側面を、財宝神クベーラから取り込みました。こうして、お腹が膨らんだ大きな袋を持つ財宝の神に変化しました。日本にも財宝神に変化したマハーカーラは伝わって、布袋様や大国主と結びつきながら、大黒天として親しまれるようになり、七福神にも入りました。また、日蓮宗のお仏壇に脇仏として祀られます。
大黒天、毘沙門天、聖天はいずれも暗黒と豊穣を合わせ持つ神なのです。
吉祥天 インドのラクシュミー女神はヴィシュヌ神の妃である富と美の女神です。姉妹のシュリー女神も似た性質の女神で、二人は一体と考えられました。この二人が仏教に取り込まれて吉祥天となりました。ラクシュミーは蓮の花の上で蓮の花を持ったを姿で描かれます。観音菩薩や文殊菩薩のモデルと言われています。仏教では毘沙門天の妃とされていて、日本では神道の女神や天女と習合しました。
弁才天 ヒンドゥー教の河の女神で音楽や学問の女神でもあり、ブララフマー神の妃とされます。インドでは孔雀を従えてヴィーナという楽器を弾いていますが、日本では琵琶を弾く姿で現されます。また、河や水の神と習合しましたが、財宝神としての性質が付け加わって、「弁才天」から「弁財天」になって七福神にも入っています。
荼吉尼天 本来、インドではダーキニーはシヴァ神の暗黒の妃カーリー女神の従者で、人の肉を食べ裸で空を飛ぶ魔女的存在でした。仏教では大日如来によって改心したとされ、大黒天の従者ともされました。後期密教では、ヒンドゥー教のシャクティーや母天(マートリカー)に対応する存在として、気のエネルギーや霊的な智慧と考えられるようになり、仏母的な存在にまで昇格しました。中国では「空行母」と訳されます。
日本では稲荷・狐信仰や、修験者の天狗信仰と結びついて広がりました。また中世には、天照大神の化身と考えられて、天皇の即位灌頂の主尊にまでなりました。本来は鬼女の姿で現れましたが、狐に乗って如意宝珠を持つ天女の姿で描かれるようになりました。  
日本仏教の中で暗黒の側面を持つ女神が、 荼吉尼天と鬼子母神です。
摩利支天 陽炎を神格化した女神で、ヒンドゥー教の太陽神スーリヤと関係した女神だと推測されています。日本では戦勝祈願の神として知られています。
鬼子母神 インドでは夫のパーンチカと共に信仰された夫婦神で、本来は障碍神でしたが、豊穣神となりました。やはり暗黒と豊穣は一体です。仏教では、鬼子母神はもとは幼児を喰う鬼女でしたが、仏が彼女の子供を隠して子を失う親の悲しみを悟らせたため改心したとされます。日本では聖母子信仰と結びつきました。安産、多産、子供の守護などのご利益のある女神です。日蓮宗では『法華経』の守護神、現世利益の女神として信仰され、お仏壇に脇仏として祀られています。夜叉の姿で描かれることも、天女の姿で描かれることもあり、子供をつれています。
妙見菩薩 北極星を神格化した神で、インドにはなく、中国で道教の神を仏教が取り入れたものです。天台宗では吉祥天と同体と考えられています。延命や息災、眼病の祈願の対象とされます。

仏弟子・羅漢・祖師

部派仏教(小乗仏教)で悟りを得た聖者を「阿羅漢(羅漢)」と呼びます。
一方、大乗仏教では、菩薩の一歩手前の聖者を「阿羅漢」と呼びます。
お釈迦様の高弟達である「仏弟子」や、「阿羅漢」、そして、各宗派の「祖師」達も崇拝の対象として、像や画の素材になります。

「祖師」達は菩薩や仏であるとか、菩薩や仏の化身と考えらるようになることもありました。
特に密教では、師を目の前にいる如来であるとして、如来以上に重視します。

十弟子 お釈迦様の伝記登場する重要な10人の弟子をまとめて10弟子と呼びます。 お釈迦様に従がう高弟として、10人まとめて像が造られます。「智慧第一」と言われた舎利弗(シャーリプトラ)、超能力を持ち、舎利弗と共に二大弟子と呼ばれる目連(マウドガリヤーヤナ)、仏滅後の教団運営を手がけて実質的な後継者となった大迦葉(マハーマーシャパ)、第一回の仏典結集でお釈迦様の教えのまとめ役をした阿難(アーナンダ)などがいます
十六羅漢 仏滅後に、法に従って修行をする16人の羅漢が、中国でまとめられ、信仰されました。日本にも伝わって、法華経信仰や禅宗と関係して信仰されてきました。画として描かれることが多いようです。
五百羅漢 羅漢の位に達した500人の羅漢のことで、やはり中国で信仰され、像が造られました。インドの経典類には、お釈迦様に500人の僧が付き添ったとか、500人の羅漢に説法したと伝えられています。
菩提達磨 達磨大師は中国の禅宗の伝説的な開祖です。インド人と言われていますが、実在の人物であるかどうかは説が分かれています。「ダルマさん」として、外国の僧としては例外的に日本の一般庶民にも親しまれています。9年間壁に向かって坐禅をしたと伝えられ、「以心伝心」や「七転び八起き」などの言葉が彼と結び付けられています。臨済宗、場合によっては曹洞宗でもお仏壇の脇仏として祀られます


「日本の祖師達」

宗派を超えて、日本の一般庶民に親しまれてきた代表的な聖者には、弘法大師、聖徳太子、役行者がいます。

弘法大師空海は日本真言宗の始祖ですが、全国を遍歴したという伝説が生まれ、水に関する秘蹟が多く語られています。また、弘法大師は弥勒信仰を持っていて、兜率天上に往生して弥勒下生を待つと遺言しました。ですが、その後、弘法大師は高野山で生身のまま入定して弥勒の下生を待っているとか、弘法大師自身が弥勒であると考えられるようになりました。

聖徳太子は日本仏教の祖と考えられることがあります。太子は観音菩薩の生まれ変わりとされ、「救世菩薩」と呼ばれます。聖徳太子にも弥勒信仰があって、太子信仰には少年姿の弥勒信仰や、聖母子信仰が結びつき、太子には少年神という側面が生まれました。また、特に職人達に信仰され、職能神という性格も生まれました。

修験道の開祖とされる役行者(役小角)は、孔雀明王法を修して、鬼や葛城山の神を使役し、空を飛んだとされています。実際の役行者は、道教系の神仙術色の濃い山岳信仰の修行者だったと思われますが、後世に仏教徒として伝説化されました。役行者の像は山岳信仰がある各地に祀られていて、2匹の鬼を従えていることもあります。また、役行者は人々を救うために神の顕現を祈ると、最後に「蔵王権現」が現れたとされています。この神は仏典には説かれていない神で、明王の姿をしていて各地に祀られています。魔障除去などのご利益があるとされます。

詳細は、「仏教の勉強室」を。