和 讃


和讃(わさん)とは、仏・菩薩や祖師・先徳、経典・教義などを日本語で讃歎した讃歌。
インド語または中国語でとなえる「梵讃」「漢讃」に対する。七五調で作られたものが多く、
これに創作当時流行していた節を付けて朗唱する。

創作は古く、平安時代にさかのぼり「法華讃歎」「百石(ももさか)讃歎」などが流行した。
古い和讃に、良源作と伝えられる「本覚讃」、千観の作になる「極楽浄土弥陀和讃」、
源信の作「極楽六時讃」「来迎讃」などがある。


ほとんど平安中期の天台浄土教によって流布したものである

鎌倉時代には、和讃は布教の用に広く認められ鎌倉仏教各宗で流行をした。
浄土真宗の親鸞作の「三帖和讃」(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)や、
時宗の一遍作「別願讃」や他阿作「往生讃」などを含む「浄業(じょうごう)和讃」などが代表である。

こうした和讃は、広く民衆の間に流布し、日本の音楽に大きな影響を与え、民謡や歌謡、
ことに演歌などの歌唱法に影響の形跡が残っている。

                          出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


声明の一種。一般には諸仏、菩薩、高僧の徳や行跡を和文の詩形式で讃えた歌謡を指し。
多くは七・五の十二音節を一句として、それを重ねる形式で作られる。のちの今様の成立や
現代に伝わる童歌(わらべうた)などに大きな影響を与えた。鎌倉時代に入ると和讃は仏教
儀式のなかでことのほか重要視されるようになった。

和讃の流れを汲む御詠歌。詠歌は在家の人々が寺院・霊場めぐりにうたう歌で、明治時代に
現在のかたちとなった。その主要な流派の一つ高野山の金剛流のもの。弘法大師(空海)の
慈愛や導きを歌ったもので、七・五の十二音節を一句とする和讃の様式で作られている。

                             http://jtrad.columbia.jp/jpn/s_wasan.html




和歌の三十一(みそひと)文字に節をつけたものをご詠歌
五七調の詞句に節をつけたものを和讃といいます。

その詞はむずかしいお経と違い、誰にでもわかりやすく仏教や真言宗の教えを理解できる
ものとなっています。豊山派では、菩提寺を中心にして、檀信徒がご詠歌と和讃を修行する
豊山流大師講と呼ばれる講が盛んです。豊山流は、曲調はもとより、それにあわせた
鈴鉦(れいしょう)の所作も流麗といわれています。現在、約三百の支部があり、講員は
約七千人で、春秋2回全国大会を催し、日ごろの修練の結果を披露しています。老若
男女を問わず「仏の世界へ直参(じきさん)」するため、日々努力をかさねています。

声明は日本の伝統的な仏教聖歌(ぶっきょうせいか)です。

 声明は、仏教とともにインドから中国へ伝えられ、中国で新たに作られたものも加わり、
日本へと伝えられました。もともと声明とは古代インドの学問のひとつで、シャブダ・ビドヤー
といわれ、言葉の学問、つまりサンスクリット語=梵語(ぼんご)の文法学を意味していました。
日本では平安時代、密教僧(みっきょうそう)が真言(しんごん)や陀羅尼(だらに)の学習の
ためにこの梵語の文法学である悉曇(しったん)を学びました。
 752年、東大寺大仏開眼供養の際、声明が唱えられたことが記録にあります。その後、
9世紀の初めに弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい)により真言声明(しんごんしょうみょう)が、
また、中頃には円仁(えんにん)により天台声明(てんだいしょうみょう)がそれぞれ中国から
伝えられます。

     真言宗豊山派                http://www.buzan.or.jp/index.html

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