『大乗菩薩と「空」の思想』

 大乗仏教を教学的に体系化したナーガルジュナの思想的根拠は『大品般若経』に説かれている空思想である。『中論』に、「因縁所生法、我説即是空、亦名為仮名、亦是中道義」と説かれているが、これは縁起ということは空であり、空がそのまま仮名であり、それがそのまま中道であるということである。つまり「縁起即空、空即中道」であり、これがそのまま諸法実相なのである。

このような、大乗の体系の中で「菩薩」が仏陀の根本精神に立ち帰ろうと、成仏を目指した。その根底にある大乗の発想そのものが、「中道」であり、無上菩提を求める大乗菩薩の、衆生を利益する実践的な利他行が「六波羅蜜」である。大乗仏教では、彼岸に到るためには、無限の時間にわたり実践し徳を積むことが要求される。衆生には、無限の時間にわたって六波羅蜜を実践し徳を積むことはできない。衆生には自己の生命保護をふくむ去り難い利己心がある。六波羅蜜の実践のためには、そのような利己心を捨て、他のために自己を捧げ尽くすという、自己犠牲と利他行が要求される。

「慈善が完全な慈善であるためには、完全な知恵を伴って行われなければならない。完全な知恵とは空の智恵―すべてのものに本質はないという智恵である。」 『空の論理<中観>』梶山雄一・上山春平

自己のために生きることより、利他(衆生)のために生きることが「菩薩行」なのである。その根本理念に、自己存在を空しいものとし、ものにとらわれる偏見邪執の心をはらう無執着であり、諸法をあるがままに容認することが求められる。

高崎直道の『仏教入門』によると、初期仏教の「八正道」の中で、「正思・正定」が以後「戒・定・慧」とまとめられ、やがて「六波羅蜜」として、また「十善戒」として在家にもたらされるという。

「戒は、単に止悪・行善にとどまらず、そこに他利の行を積極的に行うことをふくめるべきだと考えている。(『華厳経』十地品)」P156

六波羅密を八正道と比較すると「精進」、「禅定」の2項目が一致している。また「正見」、「正思」、「正語」が無くなり、「布施」、「持戒」、「忍辱」に換わっている。これらの徳目は、原始仏教にはなかった項目である。 ナーガルジュナは『宝行王正論』においてこの6項目を布施・持戒 -「利他」、忍辱・精進 -「自利」、禅定・智慧 -「解脱」というカテゴリーに分けて解説している。

大乗のすべての菩薩には、誓願があり、共通して存在する四弘誓願(五大願)があるが、更に菩薩にはそれぞれ別願がある。それでは、いくつかの菩薩の功徳をそれぞれの経典から見、共通する「精進(悪を防ぎ、善を生ずべく努める)」と「禅定(心が肉体の束縛を離れ、捨によって念が清浄になること。)」についてみると、       

「すべての人々をさとりの妨げをなす魔から救い、菩薩の修行を修習させて完全なさとりに到達させる。」    『薬師本願功徳経』

「全ての不道理を消滅させる。苦楽の報いの善悪の業を永久に取り除く。」                  『地蔵菩薩功徳経』

「みなことごとく煩悩のけがれと束縛とを離れた清らかな三昧の境地をえることができる。」          『無量寿経』

要するに、初期仏教時代のジャータカなどに象徴される、釈尊の前世が菩薩であったとされる「菩薩」ではなく、大乗の時代に至り、在家もまた「精進」と「禅定」によって「菩薩」であるとされる。その、根底にある理念が、「六波羅蜜」であって、その裏打ちが、「空」思想であるといえるのではないだろうか。

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