巡礼について                               平成25年3月

四国20番鶴林寺 早朝


平成15年7月に、西国三十三観音霊場を満願しました。思い立ってから5年かかりました。平成16年8月に、西国十七愛染霊場を満願しました。13ヶ月でした。平成16年8月に、西国薬師四十九ヶ寺巡礼を満願しました。また、平成16年7月終わりに、四国八十八ヶ所お遍路の旅をはじめ,平成17年2月に満願しました。 (ほとんど車の区切り打ちですが)。

 やはり歩きたくて、今度はできるだけ歩こうと、平成17年3月京都の東寺で遍路の祈願をして、2回目をスタートしました。そうして約1/3は歩いて、平成18年1月に2度目の満願でした。

 平成17年3月19日(土)ー18年3月4日まで。このときは別格20寺もお参りして、108寺。
 平成18年5月3日ー平成19年8月5日まで。3回目満願しました。半分歩いたかな?!
 4回目は、19年12月23日から始めました。22年8月2日、満願しました。2/3は、歩きました。
 5回目は、22年8月24日、88番から10番に出て、1番から28番まで。
 平成23年12月1日、四国霊場会の公認先達を補任しました。
 先達納経帳というのがあって、これからは当分この納経帳で始めます。
 6回目、改めて1番から、H25.3.のは、40番まで打ちました。

 実は、先達なんて早すぎるし、回数も最低回数です。でも、それには、理由があります。私のわずかですが、経験した遍路、巡礼の旅から、できる限りのアドバイスも申し上げたいし、興味をもってこのHPに来られた方々に、説得・納得していただける資格(姿)として、先達の朱の錫杖と先達輪袈裟。対機説法ですね。できるだけ、わかりやすく、興味深く、愉快に楽しいご説明をと思います。

 いったい、巡礼とは、遍路とはなんなのでしょうね。いまだ、未熟でその意味合いや価値が分からないままにただただ、惹かれるがままに、休日や休暇を使って巡ってきました。時には、とてもきつい石段や、誰もいない寺院。本堂も閉まり、秘仏の厨子は堅く閉ざされたまま。でも、発見もいっぱいです。以前訪れたときには、目にも映っていなかった脇侍の仏や仏像配置。経典の解釈によって、また宗派によってまったく異なる寺院。片田舎の山寺や野寺に驚くほどの仏像が安置されています。お寺の住職とも直接お話ができます。「ゆっくり見なさい。」というやさしいお言葉が、最近は身に沁みます。「写真撮ってもいいですか。」というと、権威や格式の寺はほとんどだめ。でも、「どうぞ。」といってもらえた時の喜びは、なににも換えがたいものです。

 
 (1)巡礼の歴史と意義

 もともと、日本での巡礼の歴史というのは、西国33観音めぐりから始まったともいわれます。 

[西国巡礼の歴史]
 養老二年(718)、大和長谷寺の徳道上人によって、」西国観音巡礼が創設されました。上人は、病のため仮死状態のとき、夢の中で閻魔大王に会い、大王は、「お前はまだ死ぬことを許さない。世に悩み苦しむ人々が多いので、その人々を救うために、三十三カ所の観音霊場をつくり、巡礼をすすめなさい」といい、上人は仮死状態から蘇生したのであります。そこで上人は、閻魔大王にいわれたとおり、三十三の霊場を設定するのですが、世人は上人のいうことを信用せず、巡礼は発展しませんでした。第六十五代花山天皇は、在位わずか二年にして皇位を退き、十九歳の若さで法王となりました。比叡山で修行し、書写山の性空上人、河内石川寺の仏眼上人、中山寺の弁光上人を伴って、那智で修行し、西国観音霊場を参拝され、復興されました。徳道上人の西国観音巡礼創設より二七〇年後のことであります。その時に那智山が第一番になったようです。

[三十三ヶ所]
 徳道上人がこの霊場を創設した時に遡ります。閻魔大王に、三十三の観音を祀る寺に参ることを世人にすすめよ。しからば苦しみや、悩みが解ける……といわれたからです。妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五、俗にいう観音経ですが、その中に観世音菩薩は、悩める我々の求めに応じて、三十三の体に変身して救うと述べられています。あらゆる苦しみ、悩みを救済し、幸せを与えるため、その状況に応じた姿になって、即時にたすけるとのことであります。ここから三十三所霊場となりました。それ以外の番外が三カ寺あります。番外の法起院は、徳道上人を祀っているところ元慶寺は、西国札所中興の祖、花山法王が
 剃髪し仏門に入った寺花山院は、花山法王が、入寂までの間、仏道修行をされながら過ごされたところであるため、番外となっています。

 起源的に考えれば、決まった寺院を巡るのではなく、歩いて諸国を巡る「行」の意味合いが強いのではないでしょうか。

  薬師巡礼は、49ヶ寺。薬師経にある49の大願から。
  愛染様は、17ヶ寺。理趣経17の「清浄地」から?!
  不動様は、36ヶ寺。36童子の数から。

 [八十八ヶ所]
  諸説あります。
   ・米の字を分解すると、八十八になるから。
   ・厄年の男42+女33+子供13=88
   ・経本で、三十五仏と五十三仏があって、加えると88
   ・日本古来の聖数である八を重ねて、八十八
   ・善通寺さんの言い伝えに、お釈迦様の骨を8カ国に分骨し、10倍して八を加え、八十八寺に敷いた。
   ・初転法輪のとき、「見惑八十八使」によって、八十八寺が設定された。
    (霊場会では、この説をとる。)

   ※参考に、倶舎論では、108の根本煩悩をいうが、伝統的教学では、最初の煩悩は88とされる。

 時期的には、鎌倉・室町時代になって人々の生活に余剰生産が生まれ、ゆとりが信仰を生んでいく。また、末世思想や仏教の庶民への浸透から見てもこのころから、いろいろな僧の諸国行脚や浄土宗や真宗、念仏宗などが庶民への仏教信仰へ、多大な貢献をしたであろうことが想像できる。

 また、もともと日本文化にある放浪の価値は、西行のそれ、芭蕉など文学的にも受け入れられる要素が充分にあったものと考えられる。道教や陰陽道、儒教などともともとの日本神道と融合し、独自の仏教が育ってきたのでしょう。

 そうして、江戸期には四国へんろや熊野詣が、平安貴族の信仰とは別の形で市民権を得てくる。伊勢参りやおかげ参り、日光や善光寺参りは、江戸幕府も容認していた信仰形態であった。

 特に、お四国は、弘法大師を信仰する「大師信仰」に裏打ちされ、、仏教とくに高野山真言宗にこだわらず、すでに民間信仰とまでいえる、個人「お大師さん」への信仰として、独自に発展していく。


 (2)お参りの作法と意味

 お参りという意味は、スタンプラリーとは違います。ご朱印は、その寺院のご本尊のお印(しるし)をいただくことです。でも、納経というのは「経を唱え納めたおしるし」です。お写経を納め、またご本尊の前で経をあげてお祈りした証しです。(寺院によっては、お参りしないとご朱印をいただけないこともあります。)

 では、お祈りとはどうすればいいのでしょう。気持ちだけでもいいのですが、訪れるかぎりは、できるだけきちんとお参りしたいものです。(お遍路のサイト以外では、あまり書かれていません。)

 ここでは、お参りのお作法を、その意味も含めてみていきます。

@山門 

 脱帽。金剛合掌がいいでしょう。(右を上にして、指をはさみます。)

 合掌し、手を合わせ一礼します。
 寺の場合は左側から入り左側から出ます。
 仏様が山門までお迎えに来て下さっているのです。
 左は、自分であり、右が仏。
   (三礼)・・・仏に参るときは、すべて三回が、基本です。

金剛合掌

 鐘撞き。鐘楼で鐘が撞けるなら、撞きましょう。(お賽銭を忘れずに。)一回。(時間を知らせている寺院は無理。何回も撞く(早鐘)のは災害や異変を知らせること。帰りに撞くのは、戻り鐘といってだめです。)撞く前に合掌。祈念して撞きます。音が消えるまで、一心に祈りましょう。

A手洗い

 手と口を清めます。左手を洗い、しゃくを持ち替えて、右手洗います。左手に新鮮な水をくみ口をすすぎます。左手を洗い、しゃくの手元を洗い、元の位置に置きます。(けっして、直接しゃくに口をつけないで。)

 
B数珠を出し、輪袈裟を着けます。(手洗い場で、お参りの準備をします。)

 数珠と袈裟は、お参りの正装です。できるだけ揃えたいものです。数珠は、左手に持ちます。(持ち方は、宗派で違いますが、お参りした寺院にあわせなくても、自分の宗派のでいいです。)
 
 
  「不思議なことに、堂に向かう足元には、八葉の蓮華が延々と敷かれ、こころには月輪が生じる。」

  そこまでの境地には到りませんが、とにかく身口意を清め、清清しい気持ちで本堂にお参りしましょう。手洗い場からすでにお参りが始まっています。

C本堂

   線香は、3本(真言宗では、本人.先祖様.弘法大師様)たてます。真ん中に立てます。(おそらく、他の人が立てるときやけどしないように。)

   ロウソク1本は、お祈り中にお迎えしている仏様をもてなします。ロウソクは心に灯す智意です。(けっして他の人のろうそくから点けないで。)(仏様に近い上の段からたてます。)(他の人の消えたろうそくも、点けてあげて)

   賽銭は、供物です。自分のできる額でしましょう。
     (五供養・・・塗香、華まん、焼香、飲食、灯明)

  お寺にろうそくや線香があるときは、お寺への喜捨の意味でそれをお供えするのもよし。

  行者だけでなく、私たちもすでに清まり、こころ静かにご本尊に対峙しましょう。お参りは、その仏と対峙し、さらに仏と一体化することで、その仏の能力を身につけていきたい。

     五分法身(ごぶんほっしん)
       戒・・・言行をつつしむ
       定・・・こころの動揺を鎮める
       慧・・・澄み切った理知をはたらかせる
       解脱・・・因果から解放される
       解脱知見・・・解脱したことを自覚する

 納め札入れがあれば、入れましょう。
 
 (あらかじめ参拝の月日や住所・名前を書いておきます。)
 (吉日と書くと解説しているものもありますが、私は正確にその当日にします。)
 
 (今日、私はお経を納めましたっていうお札です。それぞれの巡礼のを
  納経所に50枚、100枚綴りで売ってます。手書きのも見ましたよ。)
 
 写経は、納めるところがあればそこに。(文字の向きは、仏様の方に。)
  
 本堂正面の賽銭箱のところにあるときもありますね。納経所に置く寺も。賽銭箱に入れてくださいというところも。


 念珠を3回すり、合掌して、いよいよお経を唱えます。 (念珠の持ち方は、宗派でちがいます。)
 (向こうからこちらに引くように、すります。逆はお葬式。)

 左は、真言宗です。房の位置やかける指にも気をくばって。




D合掌礼拝(がっしょうらいはい) 金剛合掌

Eお経をあげます。(宗派でいろいろです。ここにあげてあるのは、真言宗です。)
  まず、経本を捧げて一礼しましょう。
  (暗誦していても、経本を出して読むのが正式です。)
                                 
  経本をささげ、 「ありがとうございます」と述べ、合掌一礼

Fさあ、拝観しましょう。また他のお堂にもお参りです。

 内観でも、左回りが基本ですが、右まわりのところも多いですね。また、線香ではなく、焼香も多いですよ。

 本当は、全部のお堂で同じように、お祈りすべきでしょうがそうもいかないかもしれませんね。せめて、そのお堂におまつりしてある仏様のご真言だけでも、唱えたいものです。

 記念に写真も欲しいものです。本堂では「撮影禁止」と書いてあれば無理ですが、書いていないときは、必ずお寺の人に尋ねましょう。(文化財指定がされていない場合は、たいていOKです。)

G帰りに、山門でご本堂に向かって、一礼。


 (3)繰り返すということ
 
 お経もそうですが、すべて「繰り返し」に大きな意味が、あります。

 「禅定(ぜんじょう)」とは、繰り返す「行」によって、精神的恍惚感にはいり、一切の邪念が

 消えていくものです。それが、「空」に近づく方法でしょう。

 お四国にもいくつか禅定といわれる、修行の場所があります。

 穴禅定・・・狭い洞窟をご案内のおばあさんとろうそう1本で、奥のお大師さんまでお参りします。
 せり割り禅定・・・大きな岩の割れ目を、ロープを頼りに上がります。鎖、はしごで。
 捨身が岳禅定・・・絶壁の岩肌を鎖で登ります。

 いくつもの寺院を訪れる。何回も繰り返す。お百度。毎日、同じ形を繰り返す勤行。

 薄れることのない様に、継続と持続。

 古来、すべてのことに人々は自然に、その方法を身に着けていくのです。

 写経も、歩き続けるのも、読経もおなじですね。精神訓練も常時し続けないといけませんね。


 (4)道中の意味

 特に、お遍路において言われることですが、お参りする寺院での所作よりも、次の寺院に到るまでの道程にこそ価値を持つのだと。ひたすら念仏を唱え、自分を問い続け、無我の境地に「入我我入」。経過する時間に身を置き、限界に近づく体力。気力。そうして、それを越えることにのみ打ち込む自分を感じること。

 時として、自己陶酔や幻覚を見ます。遠ざかる意識の中で、風の音を聞き、足音を感じ、杖の鈴が仏の世界に導きます。お大師さんに、会えます。(そんな気がします。)

 しかし、歩くことのみに執着するのもいかがなものか。歩いている人の中に、車の人を軽く値打ちがないようにいう人がいます。それは、違います。お参りのスタイルに軽重はありません。それより、上下や軽重や、価値観により差異を言っているうちは、まだまだですよね。

 要するに、巡礼に到るまでの心理、決意する行動力。繰り返し巡礼を続ける、あくなき求道心。情念の広がり。それこそ、大きな意味があるのだとおもいます。お参りしたいという気持ちです。終わりがない旅だからこそ、どこまでいったとか、人より多く行ったとか、まったく意味がなく、始めたからには、終わりなく、変わりなく、求め続ける「覚悟」こそ、本来の目的でしょう。


 (5)これから始める人に

 仏教は、深いです。わたしもまだまだ未熟です。というより、自分の内面に有るさまざまなあまりにも俗な要素に、ある種うんざりしていますが、それとうまく付き合っていかないといけませんね。消し去るとか、生まれ変わるなんてできませんよ。違うのです。

 「生きているいのちを、うまく生きること」ですよね。「一隅を照らす」のもその通りですよね。

 最初は、どんな人にも幼い頃から経験のある、初詣。近くのお寺への散歩。そうして、観光としてのお寺参り。ドライブの目的地選びとしての巡礼。写真や風景としての寺院。歴史や美術からの興味。いいのでは、ないですか。わたしもそうだったから。

 いま、四国遍路を6回目、自分がどう変化したかわかりません。信仰心が深くなったことは、確かですね。巡礼(仏に参り、お祈りしてまわること。)と遍路(大師とともに歩きながら時間を過ごすこと。)ともに大事なことだということだけは、わかってきました。

 H24の春から、高野山大学の聴講をしています。勉強です。いままで、独学で聞きかじって、いろいろ思索してきましたが、やっぱり体系に基づいた学問としての知識や教養が必要ですね。思いは止まりません。おそらく、ここまで来られた方は、自分のいまの巡礼になんらかの意味を求めておられる方でしょうから、これからも共に、自分を見つめなおすいい旅になるようご支援申し上げます。

 いっしょに、がんばりましょうね。

仏教の勉強室