☆永遠の遍路道

  『西遊記』の話。もちろん三蔵法師玄奘(げんじょう)が中国から今のインドである天竺(てんじく)への仏教経典を手に入れる旅の話です。お供には、孫悟空(そんごくう)と猪八戒(ちょはっかい)、そして沙悟浄(さごじょう)です。ドラマや絵本では頼りになるお供とされていますが、実際は違います。この3人は、人の心の中の3つの醜い部分(三毒)を象徴していると言われます。

  孫悟空は「瞋(じん)」怒りの心です。何事にも腹立たしく思い、力で相手をねじふせようという気持ちです。猪八戒は「貪(どん)」むさぼる欲の心。何でも手に入れたく思い、満足しない底知れない欲望の気持ち。そして沙悟浄は、「痴(ち)」おろかさの象徴です。「無思慮」、「無判別」、「無知」。思いやりもなく、相手を妬(ねた)んだり裏切ったり傷つけて、なんとも思わない部分です。どんな人にも、この3つの醜い部分があります。

  その醜さが、身(行動)と口(言葉)と意(心)のよって現れます。身口意または身語意といいます。それを認識した上で、自分で自分を磨き、成長させていかなければなりません。「怒りを静める術(すべ)」と「欲望に打ち勝つ精神力」と、そして「人を信じ、人から信じられる誠実さ」を。

  それらを日常の行いと発言や会話とその時々に揺れ動く心によって、生きていかねばなりません。どうすれば、いつになったらこころの思うままに行動し発言し判断しても、過ちを起こさない生き様ができるのでしょう。

  人は、生まれながらにして三毒を持っています。赤い血に引き継がれたDNAの記憶のなかに。人として生まれ、生きていかねばならない私たちは、常に失敗し、人を傷つけ、悔いながら日々を送るのです。

  仏教は、懺悔を許しません。永遠に悔いに中で生きるのです。日々、仏に参り、経を詠み、真を尽くす(三密の行)こと。たぶん、それだけ。

  私の心が、わたしを許すことはないかもしれません。私の人を信じる心が常に揺れ動くようになってしまったことを。わたしはまた、どこまで愛しても愛されても、信じても許されない「罰」を与えられたのだろうと思います。

  修羅の道を歩むしかない。不条理の坂道を、仏と共に歩くしかない。阿修羅は、正義の神。しかし、力の神帝釈天に勝てない戦いを永遠に続けます。いま一度、自分に問おう。どうか永遠に遍路道を歩こうではないか。

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