真言宗 「十巻章」について



「空海の生涯と著作等 (774 宝亀5 − 835 承和2 61年間 )」

幼少期

774 宝亀5   6月15日 讃岐国多度郡屏風が浦で、佐伯直田公(さえきのあたいたきみ)と安
刀(あと)氏出身の母の三男として出生。幼名は真魚(まお)。
789 16歳    このころから母方の伯父である大学者・阿刀大足(あとおおたり)に師事。
791 延暦10  18歳 大足に伴われて上京(長岡京)、大学に入学。15才の頃から漢学や史学を学び、
都の大学の明経科に入って、中国の古典や儒教の学習を積んだ。


青年期
    著作『聾瞽指帰(ろうこしいき)』794
793     20歳で和泉国槙尾山施福寺で沙弥戒を受け出家。ある沙門から「虚空蔵求聞持法」(こ
うぞうぐもんじほう)を授かる。 阿国大滝岳(大龍寺の舎心ケ岳)、土州室戸岬(御
蔵洞)。
797延暦16  24歳 4月9日 東大寺の戒壇院で具足戒を受ける。
         12月1日 「聾瞽指帰(ろうこしいき)」完成。道・儒と仏教を比較し、仏教の優位
正当性を主張。(帰国後に一部修正し『三教指帰』さんごうしいき)
798 25歳    大和国久米寺で「大日経」を感得。 (御遺告)
799 26歳    約4年間、四国を巡っていたといわれ、空白の時期

入唐
803     30歳 4月出家・授戒 (空海卒伝)
804延暦23  31歳 (続日本後記)得度。
         5月12日 この日、4船団で難波の港を出帆して入唐の旅に上る。
        8月10日 中国大陸福州赤岸鎮(せきがんちん)の南に漂着。
         12月23日 唐の都長安に東門(春明門)より入る。
805 延暦24  32歳  空海は西明寺に残る。青竜寺の恵果の名声を聞き、訪ねる。
         6月13日 恵果より学法灌頂壇で胎蔵の灌頂を受ける。
         7月 恵果より金剛界の五部灌頂を受ける。恵果は空海に遍照金剛の名を授けた。
         8月10日 恵果より阿闍梨位の伝法灌頂を受ける。
         12月15日 青竜寺の東塔院で恵果が入滅。
806大同元 33歳1月 門下を代表して恩師恵果の碑文を撰した。
3月 20年滞在の約束にもかかわらず、長安を離れ、帰国の途につく。
         4月20日 浙江省に到着、ここで4ケ月滞在。
         8月 遣唐副使・高階真人遠成の船で逸勢と共に寧波から帰路につく。
         10月 九州に帰着

帰国  第一期 (唐より帰国した 大同元年806年からの10年間)
        『御将来目録』、『弁顕密二教論』
806     10月22日『御将来目録』を撰進
    12月13日 高階真人遠成は入京し復命。なぜか空海は大宰府に留めおかれる。
810弘仁元 36歳 この年から813年まで東大寺の別当職に任じられる。
811    37歳  11月9日 乙訓寺の別当に任じられる。
812弘仁3 38歳  9月11日 空海から最澄へ書状「風信帖」。
         11月15日 空海による高尾山寺の金剛界灌頂。最澄は受者となる。
         12月14日 空海による高尾山寺の胎蔵灌頂。最澄以下145名が受者となる。

高野山  第二期 (弘仁期後半810年代から天長期前半の10年間)
        『即身成仏義』、『声字実相義』、『吽字義』 
   この3部作を特に「三部書」と呼んで、密教の社会的な認知と弟子たちに対する教えの伝承を
目的とした。『文鏡秘府論』、『文筆眼心抄』(がんじんしょう)

816弘仁7年 42歳  6月19日 修禅の道場建立のため高野山の下賜を願い出、嵯峨天皇より高野
山を賜わり、登山し開創に着手。高野山金剛峯寺のはじめ。
821弘仁12  47歳  4月 満濃池修築別当に任じられ、6月からの3ケ月で完成させる。
822弘仁13  48歳  2月 東大寺に潅頂道場(真言院)を建立し、高雄山寺において、鎮護国家
の為に仁王経法(にんのうきょうほう)を修し、平城上皇に密教独特の戒である三
昧耶戒を授け、潅頂。
823弘仁14  49歳 1月19日 嵯峨天皇にも潅頂を授けたという記録が残っている。
         嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を受預される。
          6月造東寺別当
824天長元  50歳 5月には内裏において祈雨法を修し、大僧都に任ぜられた。
828天長5  54歳 12月15日 綜藝種智院を開設。教育理想を記した『綜藝種智院式序』を表す。

晩期  第三期 (天長期から承和2年835年)
      『法華経開題』等の開題類、『十住心論』、『秘蔵宝鑰』
     『般若心経秘鍵』

830天長7  56歳 淳和天皇の詔により、人間精神の弁証法的な発展過程を克明に説いた『十住心
論』を著す。
832    58歳 8月 高野山で万燈会。
願文「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きん…」を残す。
835承和2  61歳 3月21日 入定。
921延喜21 醍醐天皇、「弘法大師」号を贈る。



「十巻章」について

大師の著書の中で、真言宗義建立に深い関係を持つ著作集「十巻章」

 @からFまでの7部10巻を指して『十巻章(じっかんじょう)』といわれている。
    @『菩提心論(ぼだいしんろん)』 龍猛(りゅうみょう)
    A『二教論』(『弁顕蜜二教論』べんけんみつにきょうろん)二巻
    B『即身義』(『即身成仏義』)
    C『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)
    D『吽字義』(うんじぎ)
     E『秘蔵宝鑰』(ひぞうほうやく)三巻 。
    F『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょうひけん) 


 [お大師さまの著作] (『空海 般若心経の秘密を読み解く』松長有慶 )
松長猊下の、三期区分

 第一期 密教移殖期(唐より帰国した 大同元年806年からの10年間)

    『御将来目録』    顕教と対比して密教の優れた点を力説
     『弁顕密二教論』二巻 顕教と密教を対比して対弁思想をより体系的の整理

 第二期 密教の定着期(弘仁期後半810年代から天長期前半の10年間)

    『即身成仏義』 密教の即身成仏思想の論理的な根拠を明確にしたもの
    『声字実相義』 法身説法の根拠
    『吽字義』   密教の真実義を明らかにし、実践目標そのものを原理とする

この3部作を特に「三部書」と呼んで、密教の社会的な認知と弟子たちに対する教えの伝承
を目的とした。
    『文鏡秘府論』
    『文筆眼心抄』(がんじんしょう)

 第三期 密教の完結期(天長期から承和2年835年)

    『法華経開題』等の開題類
    『十住心論』
    『秘蔵宝鑰』三巻 九顕一密
    『般若心経秘鍵』 密教の立場から独自の解釈


 [弘法大師の教え]  

  大師の著書の中で、真言宗義建立に深い関係を持つ著作集「十巻章」
   下記の@からFまでの7部10巻を指して『十巻章』といわれている。

  弘法大師の真言宗の教えの真髄がここにあるという。ここでは、できるだけ本文を
  掲載し、また意訳の掲載したい。これは、写経であり、内容理解の助けになればと
  おもう。

  ただ、掲載するには、文字が本来のものがフォントとしてない。旧字体も表記できない
  ものも多いので、「本文を忠実に」はむりだと判断し、内容紹介にすぎないのかも知れ
  ない。ただ、お大師様の教えの一部でも知ることができて、その表現にも触れることが
  できればいいと思っている。

  (残念ながら、学問的資料として使ってもらえるものではないことは、ご理解ください。)
   理由は、まず著作権や標章が不明であること。さらに、明らかに上記参考文献の
   著作権は犯しているように思います。また、前述のように、表記や文字使用、また意訳
   には、根拠のない推論や省略があります。


    @『菩提心論(ぼだいしんろん)』 龍猛(りゅうみょう)

    A『即身義』(『即身成仏義』)  全文対訳 

      ■即身成仏内容  内容分析(『即身成仏義』金岡秀友 参考)

    B『吽字義』(うんじぎ)

    C『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)

    D『二教論』(『弁顕蜜二教論』べんけんみつにきょうろん)二巻

    E『秘蔵宝やく』(ひぞうほうやく)三巻 第1から第8まではまだ未掲載です。

      ■秘密曼荼羅十住心論 内容分析と解説を

    F『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょうひけん) 全文対訳  ■大師心経


   このHPにUPするときに、ちょっと躊躇したことがありました。
   上の7巻の順番です。まあ、私は寄らば大樹の陰ですから、
   『即身成仏義』金岡秀友著の P41の「十巻章」の解説からいただきました。

   そこには、宥快(1400年ころ)の「応永の大成」だろうということです。
   『即身成仏義』、『吽字義』、『声字実相義』、の順になっています。

   また、高野山大学選書第二巻で元学長生井智詔氏の文章には、
   『即身成仏義』、『声字実相義』、 『吽字義』 

   『空海コレクションU』の巻末解説に立川武蔵氏も、
   『声字実相義』 『吽字義』 の順です。

   ひとつは「三部書」の成立年代の解釈が問題でしょうか。
   「この三著作の製作年代は不明であるが、『声字実相義』が『即身成仏義』より後に
    書かれてことは確かである。」「身・声・字」の順とあります。

  おもしろいのは、『空海コレクション』宮坂宥勝監修では、
   1巻目に
     『菩提心論(ぼだいしんろん)』 龍猛(りゅうみょう)
     『二教論』(『弁顕蜜二教論』)
     『秘蔵宝やく』
  2巻目に
    『即身義』(『即身成仏義』)  
    『声字実相義』(しょうじじっそうぎ)
    『吽字義』(うんじぎ)
    『般若心経秘鍵』(はんにゃしんぎょうひけん) 
  という順番にしています。
 
内容的に、お大師さんの思索がさらに深まっていったと見るならば、
『般若心経秘鍵』が、『秘蔵宝やく』より後の、晩年の作品ということでしょうか。




 H25.4.19 「祖典講読」(即身成仏義)の松長恵史先生の講義から

 [お大師さまの著作] (『空海 般若心経の秘密を読み解く』松長有慶 参照)

 第一期 (唐より帰国した 大同元年806年からの10年間)

    『御将来目録』
     『弁顕密二教論』

 第二期 (弘仁期後半810年代から天長期前半の10年間)

    『即身成仏義』
    『声字実相義』
    『吽字義』
      この3部作を特に「三部書」と呼んで、密教の社会的な認知と
                 弟子たちに対する教えの伝承を目的としたようです。
    『文鏡秘府論』
    『文筆眼心抄』(がんじんしょう)

 第三期 (天長期から承和2年835年)

    『法華経開題』等の開題類
    『十住心論』
    『秘蔵宝鑰』
    『般若心経秘鍵』

 以上のような分類と順序をしめしていただきました。今後、これに従います。

  ※「鑰」は、「錠」の意味で、鍵穴を指し、「鍵」は「錠前」のこと。
   平安時代から解釈が分かれ、「かぎ」と言っても、二通りある。
   ・秘密の奥義を含蔵する錠
   ・秘密の奥義を開く鍵


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