数珠 とは

浅草念珠堂 亀屋 いろんな仏具屋さんを参考にさせていただきました。

●合掌する手に掛け、仏さまと心を通い合わせる法具であり、仏教徒にとっては忘れてはならない必需品です。常にこれを持って仏さまを念じておれば、煩悩(ぼんのう)を消滅し、功徳(くどく)をえるといわれています。ズズとも発音し、珠数と書いたりします、また念珠(ねんじゅ)ともいわれます。それは、念仏を唱えるとき、一声ごとに一玉操って、何回となえたかを数えることに用いたからともいわれます。

珠の歴史は古く、お釈迦様がお生まれになる以前からあったとされています。
今から3500年以上前にできたバラモン教の聖典に登場してくる毘沙門天、弁財天、梵天は、持ち物として連珠というものを持っていて、それが念珠の原型とされています。念珠が仏教で使われたのはそう古くはないとも言われています。

浄土宗の法然上人などは、「身を浄め、手を洗いて、数珠を取れ」と仰しゃっているほどですし、浄土真宗の蓮如上人は、御文章(御文)二帖目に「当山の念仏者の風情を見及ぶに、数珠の一連をも、持つ人なし。さるほどに仏をば手づかみにこそせられたり」と書かれています。仏さまに向かうときには、数珠を手にするようにと、戒めているのです。

なお、数珠は一連、二連と数えます。その種類は、宗派によってちがっており、七十数種類もあるそうです。

数珠の功徳

数珠をもつことによって、功徳があるということでは、次のような説話(言い伝え)が『もくげんじ経』に説かれています。

『お釈迦さまが霊鷲山(りょうじゅせん)に居られたとき、ハリル国の王さまが、自分の国は小さく、辺境の地で盗賊が絶えず出没し、疫病もはやり、人民は非常に苦しんでおります。そこで、この苦しみから救われるよう、自分たちにも修行のできる教えを説いてください、とお釈迦さまにお願いしました。すると、お釈迦さまは、もくげんじの実百八個を通して環をつくり、これを常に身体からはなさず、心から仏さまの御名[三宝(仏・法・僧)]を唱え、一つずつ繰っていきなさい。それが二十万遍になったとき、心身に乱れがなくなり、人々の心も自然と安楽になり、国家も安泰になります。さらに百万遍になったとき、人間のもつ百八の煩悩も断ち切ることができると説かれ、一つの数珠を授けられました。王さまは、早速、木子の実で千連の数珠をつくり、六親眷属(ろくしんけんぞく)に分け与えました。王さまも、常に数珠を手にして、仏さまの御名を誦念しましたところ、国は次第に安定し、王さま自身は仏道を成ずることができた』

モクケンシとは、羽子板の羽根の重しになっているムクロジの実のことです。

しかし、「過去無量恒河沙の諸仏の説くところ、一百八数を念珠の量となす」と記している経典がありますので、数珠の起源は、お釈迦さまよりも古いようです。

お釈迦さまの教えが経典となって、広く世間に流布するのは、お釈迦さまが涅槃に入られてから五百年ほど経ってからですが、その間に数珠も、数の概念や一つ一つの珠の意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていくのです。仏教が中国から日本に伝来したとき、数珠も一緒に入ってきました。

数珠の歴史

正倉院には、聖徳太子が愛用された蜻蛉玉(とんぼめ)金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水晶と琥珀の数珠二連が現存しています。すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです。

日本に密教をもたらした弘法大師空海(九世紀に活躍)は青年僧であった時に百万遍の呪文へ虚空蔵求聞持法を唱える修行を行い、今日でも同様の修行が高野山では行われているが、その時には必ず呪文の数をカウントするために修行僧は数珠を持ちます。また、念仏やお題目を何度唱えたのかということが重要な場合は、珠数がカウントの機能も持つことになります。

珠数そのものは釈尊の時代からあったのですが、さらに仏教において念珠が積極的に取り入れられるようになったのは、念仏を唱える浄土の教えや密教 (真言宗)がインドや中国で盛んになる五世紀以降になってから、とも考えられるといいます。

念珠の日本への伝来は、百済からの仏教の伝来(552年)とほぼ同じころと思われます。文献にはじめて見られるのは天平19年(743年)の法隆寺の資材帳に見られます。当時は船載品として非常に貴重なもので僧侶の間でもごく一部の者しか使用されていなかったようです。このころの遺品が、今、御物として正倉院にいくつか納められていることや、天平勝宝8年(756年)、聖武天皇による東大寺献物帳の一部に、念珠が「国家の珍宝」として献納されていることからもわかります。そのときの記録によると材質は、金、銀、瑪瑙、琥珀、水晶、真珠、など貴金属、宝石類でつくられており、まさに貴重品であったことが伺えます。

平安末期から鎌倉時代にかけて、いわゆる鎌倉新仏教が展開され、広く民衆にまで浸透し、念珠の普及の時代ですね。各宗派ごとに使いやすいように改良され、現在各宗派で用いられている念珠の多くはこのころに形式が作られました。

江戸時代に入ると、幕府の政策もあって仏教は栄え、念珠の需要も急増しました。

元禄年間(1688〜1704年)には、一般の売買がはじめて公許されたり、念珠の解説書も現れました。禅僧の間にわずかに使用されていた片手念珠が普及するようになったのもこのころです。

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れていた明治の頃、曹洞宗の管長だった西有穆山(にしありぼくさん)禅師は、馬車一台もの数珠を買ってきて、出会う人ごとに「仏教を信じなされ。幸福を与え、身を護る数珠でござる」と、街頭伝道をしたそうです。

数珠には如意宝珠のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔除けになるのです。数珠には、そういう功徳が備わっているのです。信濃の善光寺では今でも、ご上人が本堂に参詣されるときの途上、道にしゃがんでいる信者たちの頭を数珠でなでる「御数珠頂戴」の行事が、行われています。これも数珠の功徳をいただく風習です。

●珠の数

珠の数は、108が基本です。人間の限りない欲望と執着の量を表します。百八の煩悩です。

珠の中をつらぬいている糸は、丁度仏の心を我々の心の中に通しているわけであって、それを円く輪にしてあるのは、心が円く、すなおになる事を意味しているのです。

数珠は、正式には108の珠を基本としていますが、現在では四半分の27玉、108にちなんで18玉などといろいろな形式になっていて、略式の数珠といわれています。

正式の数珠を二輪数珠、略式の数珠を片手数珠とか、一輪数珠ともいいます。

数珠の珠(たま)の数は、百八個が基本とされ、多いものには千八十あり、少ないものは五十四、四十二、二十七、二十一、十四のものがあります。宗派によっては三十六玉、十八玉のものも用いております。

数珠玉のうち、房(ふさ)の付いているT字形の穴のあいている玉が親玉といわれ、これが数珠の中心です。主玉の百八個の玉は、百八の煩悩を意味しております。菩薩の修行の過程を意味しているともいわれます。 主玉の間にある小玉や、房についている小玉など小さい玉には、四天、四菩薩、弟子玉、記子玉、などの名があり、弟子玉の下についている露型の玉は記子止(きしどめ)、露玉(つゆだま)と呼ばれ、また親玉のすぐ下、表房の一番上にある玉は浄明(じょうみょう)(浄名)といわれます。


●数珠の形

略式の数珠は、珠の大きさによって、男性用数珠、女性用数珠、腕輪念珠(数珠)などの種類に分かれ、どの宗派の方でも使えます。

正式の数珠の形は宗派によって違いますが、一般に使われている108個の主玉(おもだま)と、2個の親玉(おやだま)をつなぎ、その親玉に弟子玉(でしだま)と露玉(つゆだま)と房をつけます。

主玉の間に、やや小さい玉を4個入れますが、これを四天玉と呼びます。この玉は、略式の数珠では2個なので、二天玉と呼びます。

真言宗で用いる数珠は、その形から振分数珠とも呼ばれ、真言宗以外でも用いるので八宗用ともいわれます。

日蓮宗で用いる数珠は、真言宗が両方の親玉に二つずつの房があるのと違って、片方の親玉に三つの房があります。

浄土宗では、二つの輪違いのものに丸環がついている、輪違い数珠が多く用いられます。




●宗派ごとの念珠

中本名玉堂(高野山)を参考にさせていただきました。
画像もお借りしました。

真言宗 真言宗で用いる数珠は、弘法大師が唐から帰国のとき師の恵果阿闍梨に授けられといわれるものが基本形とされ、その形から振分(ふりわけ)数珠と呼ばれ、真言宗以外でも用いるので八宗用ともいわれます。寺院用には、五十四個玉の半繰(はんくり)念珠があり、在家用としては、形の小さな菊房のものが一般に用いられています。

  
浄土宗
浄土宗とここからでた時宗は、多く輪違いの念珠が用いられています。
これは、法然上人の門人、阿波之助が考案したといわれ、のちに、称念が現在のように改作したものといわれ、2つの輪違いのものに丸環がつけられていて、一般に日課数珠と呼ばれている。日課念仏に用いる、繰り念珠です。この日課数珠には、108個の数珠10連を合わせて1080個の大きさにしたものもあり、百萬遍大数珠といわれている。装束念珠は、基本形がやや異なっていて、在家用としては、片手数珠が現在多く用いられている。
浄土真宗
基本の形は、浄土宗と同じで、在家用も基本は同じで、寸法で決められており、玉の数は制限がないという特徴があります。裏房の結び方がこの宗派独特のもので「蓮如結び」といわれています。
真宗の念珠は、中興の祖、蓮如(れんにょ)上人の考案になるもので、基本形は浄土宗と同じですが、かた、形式は同じですが、「兼朝用」・「布教用」といわれる特殊なものもあります。
この他、一般的な片手念珠も用いられている。
日蓮宗
日蓮宗の念珠は、宗祖日蓮上人以来、華厳宗などの南都六宗で用いられている古い形式のものを使用していたが、室町末期頃より現在の形のものも用いられるようになったといわれます。
以後、広く日蓮宗各派に用いられる基本形となり、顕本法華宗、仏立宗、などの各派、祈祷用の各種のものなど、房の組み方の違いがみられるぐらいです。
在家用のものも基本はすべて同じである。
禅宗各宗
臨済宗・黄檗宗では、装束数珠は古い形の同じものが用いられております。
曹洞宗では、親玉・向玉・四天の間に主玉が十八個ずつ通してあります。
金属の輪が通っています。
在家では、八宗用数珠、片手数珠が用いられております。
天台宗
天台宗で用いられているのは、多く平玉です。主玉百八個、親玉一個、四天四個でつくられます。
房は、片手に十個の丸玉、片手に平玉二十個がつけられています。
これを「とう・にじゅう」とも呼びます。


●珠の素材

珠の素材は、宗派による違いはありません。素材には、次のようなものがあります。

[菩提樹]
 お釈迦さまが、その下で悟りを開かれたという菩提樹。その実でつくられた数珠は尊ばれ、経典にも「無量の福、最勝の益」を得ると説かれています。数珠の功徳を説いている「仏説校量数珠功徳経」には、外道を信じている男が「諸仏に、どのような力があるのか」と、亡くなった息子を菩提樹の根元に置いて七日間、仏の名を唱えたところ、その息子が蘇ったので、それから菩提樹は延命樹と呼ばれるようになった、と説かれています。星月菩提樹、金剛菩提樹、鳳眼菩提樹、龍眼菩提樹、天竺菩提樹などの種類があります。


[木の実、木珠]
 木の素材は、紫檀、黒檀、鉄刀木、梅など、いろいろあります。木の実の数珠は、年を経るごとにそのつやを増します。手にした人の心が、つやを出すのです。香木には伽羅、沈香、白檀などがあります。また、羅漢や骸骨を彫った数珠や、お寺の改築のときに出た古材で加工された数珠を記念品として配ることもあります。

ちなみに、私が持っているのは鉄刀木(たがやさん:豆科の硬い木)の振り分け念珠です。深い木の色と木目が、気に入りました。






[宝石、貴石]
 宝石には、瑪瑙(メノー)、珊瑚(サンゴ)、琥珀(コハク)、真珠や、瞑想の手助けをするという瑠璃(ルリ)など、いろいろあります。神秘な緑の光を放つ翡翠(ヒスイ)も、太古から霊力の宿る宝石といわれ、邪気を払う働きがあるとされています。「陀羅尼集経」で「一切仏菩薩金剛天などの法に通用する」と説かれているのは、水晶の数珠です。「あらゆる報障を除滅し、一切の悪業染着すること能わず」と記されています。弘法大師が、師匠の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から伝授された数珠も水晶でした。現在、日本にある最も古い珠数で、正倉院に伝わるものです。

 七宝という言葉は良く知られています。実はこの七宝は、仏教用語が語源です。 仏教でいう「七宝」とは「金・銀・瑠璃・水晶・シャコ貝・珊瑚・メノウ」などで、適宜、琥珀・真珠などに入れ替わることがあります。


●菩提樹について

お釈迦様は、長い苦行の末、一本の木の下に静かに座し、真の悟りすなわち、(bodhi)ボデイ=”菩提”を開き仏陀(ブッダ)となられたとされています。その木がインドボダイジュだったのです。瞑想に座す仏陀の耳にもインド菩提樹の葉のさやぎは安らかに響いたことでしょう。覚樹<カクジュ>とも道場樹ともよばれています。サンスクリット語で、pippalaとかasvatthaと呼ばれる樹木のことをさします。学名はFicus religiosaとよび、クワ科の植物。日本の寺院に植えられている菩提樹やドイツの菩提樹(Lindenbaum)は、葉の形がこれに似たシナノキ科の植物。

インドのビハ-ル州にあるブッダガヤーには、ブッダが瞑想に座ったとされるその場所に今でもインド菩提樹の木が茂っている。元の木は枯れて何度か植え替えられ、現在の木は、1885年に植え替えられたものだそうです。釈迦誕生のムユウジュ(無憂樹)、入滅のサラの木(沙羅の木)とともに、インドボダイジュは、悟りの木として仏教の三大聖樹とされている。

実は、インド原産のクワ科イチジク属のインドボダイジュが本来は「菩提樹」呼ばれるべきだったのです。が、しかし、今、菩提樹としてわが国にもたらされ先にその「菩提樹」の名の栄誉を与えられたのは、中国産のシナノキ科の木でした。

この中国産のボダイジュは、六条天皇のころ、宋に修行に渡った建仁寺の僧、栄西(臨済宗開祖)がその種子を持ち帰り、寺の庭などに植えたのが広まったものと言われています。今となっては、本物の菩提樹は、インドボダイジュという和名に甘んじるしかなくなってしまいました。

仏蹟巡礼の地、ブッダガヤーでは、菩提樹の数珠というのを売っています。この菩提樹というのがまたまぎらわしくて、これもインド菩提樹の種子ではなくインドジュズノキなどの種子と思われます。インドのお土産だからと、ブッダガヤなどで買った素朴な数珠は、インドジュズノキの種子(金剛珠)がおおいそうです。

インドボダイジュは仏教だけでなく、ヒンズー教でも聖木として崇められてきました。その根には創造の神ブラフマーが、幹には破壊と再生の神シバ神が枝には、維持の神ビシュヌ神住むと考えられ、ヒンズー教の主要三神と深いかかわりをもっています。また、ビシュヌの化身ともされ、インドでは、これを切ったり傷つけたりすることは、昔から戒められてきました。この木は、ヒンディー語で、ピーパル、ベンガル語でオショットの名で親しまれてきました。

ベンガル地方では、この木を植えるときは、バラモン僧を呼んで新しい布を供え、木の結婚式をして植えるのだそうです。この際、インドボダイジュが、妻でベンガルボダイジュが夫となることが多いようです。


●中糸と房

珠と珠を繋いでいる中糸は、中通しとも呼ばれ、観音さまの大慈悲心を表しています。私たち一人ひとりを仏さまと結びつけている糸であり、仏果を得るまで一筋に精進することを意味しています。この中糸についている房には、凡天房、頭付房、より房、紐房、菊房などがあります。房の形や色は、宗派による違いはありません。


●数珠の持ち方

108珠の本念珠は、二輪にして使用します。ねじるのですね。真言宗では、左手は人差し指にかけて、右手は、中指にかけて、手の平の中に包んでお祈りします。持ち方は、左右の中指に通し、浄名のついた親玉(母珠)を右にする。房は外側に垂らす。(指が違います。私には、判断できません。派で異なるのかもしれません。高野山では、房は手の中にいれて、外には垂らしません。)左手に持つときは二重にし、親指と他の四指との間に掛け、両母珠は親指で押さえ、手に包みます。房を下へは垂らさない。仏前に置く時は三重にし、房を丸くなった内側に置くようにする。 み仏を拝むときは一重。なお、数珠を軽く三度摺ることは、煩悩を減らすという意味がある。(余り摺りすぎると功徳がなくなるのでそれ以上は摺らない)。

「数珠をする」このすり方ですが、自分のことを祈るときは、引き相手のことを祈る時は向こうへ(外へ)。巡礼するときは、自分のことで詣るのですから三度目に手前に引くようになりますね。向こうに出すときは葬式の時ぐらいでしょうか。毎日のお勤めも、手前に引きます。

一輪のもの(略念珠といいます)では、親珠を下にかけます。座っていて、手に持っているときは、左手にもち、または、左手首にかけます。歩くときは、左手にもちます。


● 数珠屋さんのQ&Aコーナーから「なるほど」とか「へーー」を探しました。

☆親が子に、また人に珠数を買ってあげても良いですか?
人に数珠(念珠)を買い与えることは、その人に法緑を与え功徳を施すことになります。大変良いことです。

☆数珠(念珠)は人に貸したり、借りてもいいのですか?
数珠(念珠)は使用者の念がこもった、いわぱ使用者の分身です。数珠(念珠)は人に貸したり、借りてはいけません。

☆数珠(念珠)が切れたら悪いことが起こるのですか?
数珠(念珠)が切れることは、悪縁が切れるということです。一つ一つの玉は仏様ですので、悪い因縁を切ってくださいます。数珠(念珠)が切れたら、出来れば新しいものを求めましょう。しかし、切れた数珠(念珠)は決して粗暴に扱ってはいけません。丁寧に供養してもらいましょう。

☆数珠(念珠)は、何でもないときに持っててもいいのですか?
数珠(念珠)は、常に携帯しましょう。珠数を携帯することは、仏様への謝念をあらわします。また、信仰の証です。また、数珠(念珠)は魔除け厄除けとなり、また福を授かると言われます。

☆故人使用の数珠(念珠)は、形見として使用していいのですか?
個人が使用していた数珠(念珠)は、故人と一緒に御浄土へ持たせます。社会的地位・名誉・財産などは、御浄土へはもっていけません。しかし、数珠(念珠)だけは共に御浄土へ参ります。

☆レンズ入り数珠(念珠)は高級品なのですか?
数珠(念珠)の親玉に仏様のレンズが入った商品がありますが、これは観光地のおみやげとして生産しているようですが、高級品にはレンズを入れないのが原則です。

☆数珠(念珠)の手入れ方法は?
手入れの方法として特に必要はないのですが、汗のついた手で使用された後は、乾いた布で軽く拭き取って下さい。桐箱に保管されるか念珠袋に入れて保管して下さい。普段、仏壇に置くときは、房が仏様に向くように置きます。

☆違う宗派のお葬式に行くのに自分の宗派の数珠(念珠)を持って行ってもいいのですか?
日蓮宗の方でも他の宗派の方でも自分の宗派の念珠でどの宗派のお葬式等でも使ってかまいません。相手の宗派に合わせる必要はないです。

☆お数珠が結納品として使われる地域、あるいはお数珠が婚礼の際に必要なものであると認識されている地域は関西・北陸・中京などが中心で、関東などでは数珠といえば葬祭・仏事用のものとしての認識しか持たない方が多いようです。

☆お葬式の時に朱房の数珠をもつことは一般的には憚(はばか)られます。名古屋などではお葬儀の時は白房が常識的に使われるようで(婦人用としては)、朱房の数珠などもってのほかという地域もある。しかし、京都などではお嫁入りの時に持ってきた朱房の数珠をお葬式の時にでも手にする方が結構おられるようです。



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